東京大学医学部附属病院
脳神経内科
濱田雅
こんにちは。息子二人がヴァイオリンのご指導をいただいております濱田雅と申します。私は脳と神経の専門医として、パーキンソン病などの運動障害や、意識とは無関係に体が動いてしまう不随意運動、さらに認知症やてんかんなど、脳に関わるさまざまな病気を診療しています。日々、患者さんの生活の質を向上させるために、病気の理解を深め、適切な治療を提供することを心がけています。
また、さまざまな脳の病気がなぜ起こるのか、そのメカニズムの解明や、新しい治療法の開発に関する研究も行っています。診療では、患者さんのさまざまなお悩みに対応しており、ヴァイオリニストやギタリスト、管楽器奏者、作曲家など、音楽家の方々からのご相談も受けることがあります。
この記事では、脳神経内科医としての経験を活かし、脳科学の視点を交えながら、音楽に関わるテーマについてお話ししたいと思います。音楽と脳の関係について興味をお持ちの方に、少しでもお役に立てる内容をお届けできれば幸いです。
音楽家とジストニア
皆さんはジストニアという病気をご存知でしょうか? ジストニアとは、身体の筋肉が異常に緊張した結果、異常な姿勢・異常な運動を起こす状態です。このジストニアですが、実は音楽家と深い関係があります。
「ジストニア」の一種に「音楽家ジストニア」と呼ばれる病気があります。ヴァイオリニストやピアニスト、ギタリスト、管楽器奏者が、演奏中に指がうまく動かない、または口の形を正しく作れないため、思うように演奏ができなくなる病気です。
ピアニストであれば右手、ヴァイオリニストや他の擦弦楽器奏者なら左手、管楽器奏者では口や舌、そしてドラム奏者の場合は足に症状が現れることが多く、楽器演奏時に特に正確で素早い動きを要求される身体の部位に発症しやすいとされています。
ただし、日常生活では問題なく箸を使うことができるなど、特定の動作にのみ症状が現れます。このように、特定の動作、例えば楽器を演奏する時だけ症状が出ることを「動作特異性」といいます。
過剰な学習とシナプス
では、なぜ「動作特異性ジストニア」になってしまうのでしょうか?
その理由の一つに、長年にわたって正確で速い動きを繰り返し行いすぎる「過剰な学習」が関係していると言われています。音楽家は、完璧な演奏を目指して同じ動作を何度も繰り返しますが、この過度の反復が、脳の運動制御に影響を与え、ジストニアを引き起こす原因になると考えられています。
学習というと、勉強することを思い浮かべますが、何かの技能を習得すること、たとえばうまく演奏できるようになることも学習の一つです(運動の技能を獲得することなので運動学習ともいいます)。学習すると脳の中では次のようなことがおきています。
脳の中には神経がたくさんあるのですが、神経と神経がつながることがあって、そのつながっている部位はシナプスとよばれます。例えば学習をして何かを覚えると、新たに神経と神経がつながるようになり、またつながったシナプスでの神経と神経のつながり具合が強くなったり、シナプス自体も大きくなることが知られています。
こういった脳の中でシナプスが変化することが学習のメカニズムであると考えられています(シナプス可塑性と呼ばれます)。
やりすぎるとジストニアになる!?
「音楽家ジストニア」の患者さんは、小さいころから高度な動きの訓練、練習をしているわけですが、この過剰な学習のため、シナプスの繋がりが強くなりすぎてしまうことが、ジストニアの原因の一つといわれています(シナプス可塑性の異常といわれます)。
練習時間が長い(1日4時間以上)となりやすいといわれていますが、練習をする時間が長ければ必ずジストニアになるわけではありません。
練習時間以外にも、8歳以降に楽器訓練を始めた人、不安が強い性格、完璧主義かどうかも重要といわれています。また休暇明けや指導者が変わるなどの環境の変化も重要です。
ジストニアの予防には適切な休息と練習時間とのバランス、リラックスして演奏する、いろいろな動作をとりいれる、ストレスをためない等が大切です。
ジストニアの治療
ジストニアの治療法としてはリハビリテーション、薬物治療やボツリヌス療法による治療があります。
リハビリテーションでは、ゆっくりと演奏する、スプリントや薄いゴム手袋を使用して演奏する等があります。
最新の治療としては、脳深部刺激療法(deep brain stimulation ,DBS)とよばれる、脳の大脳基底核という部位に、細い針をさして、その針の先から微弱な電気を流して、脳を電気刺激するという治療法があります。プロの音楽家の中にはDBSの手術をうけたと公表されている方もおられます。
「音楽家ジストニア」は、演奏に必要な動作がスムーズに行えなくなり、時に音楽家としてのキャリアに直結することがありますので、発症すると深刻な問題となり得ます。まだまだこの病気を知らない方も多いと思いますが、治療法も進歩しています。
ジストニアの症状がでてからすぐに治療したほうが治りやすいので、もし気になる症状があればお近くの脳神経内科の医師に診てもらうことをおすすめいたします。
濱田雅
東京大学 医学部附属病院 脳神経内科 講師。
神経内科医として日々パーキンソン病などの運動障害疾患の診療、神経筋疾患の電気生理診断およびてんかん診療に従事しながら、非侵襲的脳刺激法などを用いて運動制御ならびに神経疾患の新規治療法の開発に関する研究を行っている。