第2回 スズキ・メソードとエル・システマの繋がり
一般社団法人エル・システマジャパン
代表理事
菊川 穣
スズキ・メソードとエル・システマの関係の始まり
スズキ・メソードとエル・システマの関係は、その誕生の前にさかのぼります。現在もソリストとして活躍するスズキ・メソード出身のヴァイオリニスト大谷康子氏や現スズキ・メソード会長の早野龍五氏を含む、全国から選抜された10人の子ども演奏家(テン・チルドレン)が、米国への初めての演奏ツアーを行い、大歓迎を受けた1964年。
エル・システマ創設時からのメンバーで、設立者の故アブレウ博士の右腕として活躍している、当時はイーストマン音楽大学に留学中だったヴィオラ奏者フランク・ディ・ポロ氏は、このテン・チルドレンによる演奏を直接聴いてとても感動したと語っています。
さらに、このことが契機となり、米国でのスズキ・メソードの拡大の立役者となるウィリアム・スター氏が、1972年にベネズエラを訪問し、アブレウ博士、ディポロ氏と交流を深めたそうです。スズキ・メソードに関心を寄せたアブレウ博士は、1979年には、松本の本部に、ディポロ氏と同じく創設メンバーでベネズエラ中央音楽大学長であった作曲家のエリック・コロン氏からなる視察団を日本に派遣し、現場での教室の様子を見学させたのです。
ベネズエラへの派遣
このような背景のもと、戦前に鈴木先生から直接師事を受けた、ヴァイオリニスト小林武史氏が、ベネズエラ政府文化庁から日本政府への要請にもとづいた国際交流基金文化使節として1979年6月から3ヶ月間、派遣されました。紆余曲折がありながらも、小林先生は、全くの初心者であるベネズエラのアマゾン地区に住むインディへナの子どもたちに、懇切丁寧に指導。2ヶ月後のコンサートで、この子どもたちはスズキ・メソードの定番である「キラキラ星変奏曲」のみならず、ベートーヴェンの第九交響曲の歓喜の歌やベネズエラ国歌を演奏できるようになったのです。
このことは、アブレウ博士や、他のエル・システマ関係者を驚かせ、小林先生が寄贈されたスズキ・メソードの教本全巻をもとに弦楽器指導の体系を作っていく方針が採用されたようです(山田真一「エル・システマ」)。
ただ、第1回の記事でも言及した通り、アブレウ博士は、スズキ・メソードの教本をそのまま実践していくというより、ダルクローズ・メソードのリトミックなどを応用しながら、幼児はまずは歌を習うことから始めさせるなど、エル・システマとしての独自の方法論を作っていくことになったようです。
スズキ・メソード関係者の活躍
一方、エル・システマがベネズエラから世界各国に広がっていく過程において、様々な形でスズキ・メソード関係者が関わってきたことが指摘されています。特に、国内にエル・システマ関連のプログラムが100以上ある米国においては、おそらくそのうちの1/4近い数の団体が、スズキ・メソードの指導者が率先、関係する形で運営されていると見積もられています。
エル・システマジャパンが2012年夏に、ジェイミー・バーンスタイン(故レナード・バーンスタインの子女)を始めとする、米国におけるエル・システマ関係者を招待し、都内は明治学院大学でシンポジウム、相馬で弦楽器、管楽器、合唱のワークショップを実施しました。その時に、ファシリテーターを務めてくれたローリー・ヘジー(Lorrie Heagy)先生(小学校教員)はアラスカのエル・システマプログラムであるジュノー・アラスカ・ミュージック・マター(JAMM)の創設者。そして、彼女を設立以来技術的にサポートしているのが、現地のスズキ・メソードの教師、國華夏(Guo Hua Xia)氏で、彼は、まさに現地の音楽コミュニティの中心人物の1人でした。
また、北中南米スズキ・メソード連盟(Suzuki Association of the Americas)の現事務局長であるアンジェリカ・コルテス(Angelica Cortez)氏は、ロサンゼルスのエル・システマプログラムであるYOLAでプログラムオフィサーとしてのキャリアを始めて、前職は、米国のエル・システマ統括団体(El Sistema USA)の臨時代表/CEOでした。ちなみに、彼女は、スズキ・メソード出身でもなく、ヴァイオリニストでもない、初めての事務局長のようです。
米国以外では、スズキ・メソードの講師資格を持つ米国人ヴァイオリニストである、カリス・クロウフォード(Karis Crawford)氏 が、アフリカのケニアで、世界で最も危険と言われる首都ナイロビのスラム、Kawangware地区で、2014年から、エル・システマケニアの弦楽器指導に関わっています。
30年以上続いた内戦によって、豊富な天然資源があるにも関わらず、世界で最も貧富の格差があるアンゴラで2008年に始まった、首都ルアンダの貧困家庭の子どもたちを対象にしたカポソカ音楽学院。これも、フィリピンからスズキ・メソードで学んだことのある2人の指導者を現地に招聘する形でプログラムを展開していました。2016年には、日本アンゴラ国交樹立40周年記念事業の一環として来日、相馬子どもオーケストラと東京、相馬で交流演奏会を重ね、また、松本にあるスズキ・メソードの本部を訪問する機会にも恵まれました。
台湾では、1999年の921大地震の被害からの復興を目指して始まった南投県の埔里エル・システマがありますが、そこのバタフライ(Butterfly)交響楽団の指揮者である劉妙紋先生も、スズキ・メソードで幼少の頃からヴァイオリンを学び、指導者として活躍されてきた実績がある方でした。
日本国内での展開
2012年から福島県相馬市で始まった活動も、その中心となる弦楽器指導者、須藤亜左子先生は、小学校の器楽部で8歳からヴァイオリンを始めた後、10歳から、仙台在住で相馬の楽器店で教室を持っていた山家先生の元、スズキ・メソードで習っていました。
17歳の時に先生が不慮の事故で亡くなった後も、別の先生に習いながらも、音大卒業後スズキの教材を取り入れながら、ご自身の教室を運営されていました。
2014年から岩手県大槌町で開始した活動は、故上杉裕之氏が、立ち上げに深く関わって下さったご縁もあり、奥様である関東地区ヴァイオリン科指導者の上杉理香先生が当初より現場の先生を技術的にサポートする外部講師として活躍されておられます。
そして、2017年から、スズキ・メソードのお膝元である長野県は駒ヶ根市で3番目の拠点としての活動が始まったのを契機に、今後のより親密な交流を促進する目的で、(公社)才能教育研究会と(一社)エル・システマジャパンの間で協力協定が、2018年夏に締結されました。
一方、同年4月に両国国技館で開催された第54回グランドコンサートに、相馬と大槌のエル・システマの教室で学ぶ子どもたちが参加させて頂く機会にも恵まれました。
これからも、エル・システマジャパンとスズキ・メソードは、協力して子どもたちの音楽活動をサポートしていきます。
プロフィール
菊川 穣(きくがわ ゆたか)
神戸生まれ。幼少期をフィンランドで過ごす。University College London地理学BA(1995年)、政策研究学(Institute of Education)MA(1996年)。(株)社会工学研究所を経て、国連教育科学文化機関(ユネスコ)南アフリカ事務所、国連児童基金(ユニセフ)レソト、エリトリア両事務所で、教育、子ども保護、エイズ分野の調整管理業務を担当。2007年に日本ユニセフ協会へ異動、J8サミットプロジェクトコーディネーター、資金調達業務に従事後、2011年より東日本大震災支援本部チーフコーディネーター。2012年、(一社)エル・システマジャパンを設立、日本ユニセフ協会を退職、代表理事に就任。公益財団法人ソニー音楽財団こども音楽基金選考委員会議長(2019年〜2021年)。公益財団法人音楽文化創造理事(2022年〜)。