第1回「プレリュード」
チェリスト
山本裕康
2年前からスズキ・メソードのお手伝いをさせて頂いております、元名古屋支部のチェロの山本裕康です。
経歴は40年ほど前に研究科を卒業しております。しかし研究科卒業という僕の自慢も現在では単なる通過点だそうで、そんな中僕自身何ができるのだろうか?という事を思いながらこの2年を過ごしてまいりました。
Zoomとはいえ夏期学校に参加させて頂いたりしてきましたが、その働きが甘かったのでしょう。チェロ科のNN先生から「何か文を書け」とのご命令を頂きました。断れるほど僕は強くありません。
高校時代は文系にいた僕がスズキ・メソードを科学するなどという事も書けるはずもありませんから何を書くかは大変悩みましたが、スズキ・メソードで育ち、育った挙句にどんな人間になっていったかを書こうと思います。
自叙伝というほどのものではありませんが、これがFruitfulを読まれている方々の箸休めになれば幸いです。そしてその1人の人間がそうなっていった事実をどなたかが科学して頂けたら望外の喜びです。
題名は「僕の音楽との旅」です。宜しくお願い申し上げます。
「音楽との旅」のはじまり
「本格的にテニスに人生をかけよう」と、体育大学を相当な強い意志で目指そうとしていたその年の夏から秋に、それを邪魔する2つの出来事が連続してあり、僕は全く違う人生を歩む事になりました。
夏の大会でそこそこ良いところまでは勝ち進むことは出来たけど、そのブロックの準決勝で敗北。その尋常じゃないコテンパンな負け方から、テニスでの自分の未来を想像することが出来なくなった事がまず一つ。
そしてスズキ・メソードの関東・中部・関西の混合の弦楽合奏団で当時はまだ「東ドイツ」と呼ばれていた国への演奏旅行に参加した事がもう一つの出来事でした。
故・大沢美木先生が指揮・指導されていた弦楽合奏にお手伝いでチェロを弾いていた関係で連れて行って頂いた訳ですが、その合奏団でよく弾いていてとにかく好きだったブランデンブルグ協奏曲を作曲したJ.S.バッハのお墓を見た時の衝撃や感動は、中学時代テクノポップにのめり込み当時神様と崇めていた YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の坂本龍一さんと彼の曲をチェロと彼のピアノの2人で演奏した40歳くらいまでなかったような気がします。
そんな東ドイツの旅の最終日の演奏会でバッハのシャコンヌを目に涙を浮かべ感動しながら演奏しました。
終演後にソリストで参加されていたチェロの林峰男先生に「なあ裕康。お前高校卒業したらどうするんだ?」と言われ、音楽に感動した直後でしたから「音楽の道に進みたい」と調子に乗って答えたら「先生を紹介してやる。そこに行け」と言われ随分慌てたのをつい最近の事のように覚えています。
そして早朝にホテルを出なければならないこともあり、寝ずに朝を待っていたのですが、その時につけていたラジオからバッハのドッペルコンチェルトが流れてきて、その2楽章を聴きながら『やっぱり音楽の道に進みたい』と決心した訳です。
朝から晩までテニス漬けになり、ウィンブルドンの大会を血眼になって観ていたからテニスプレイヤーに、新田次郎や筒井康隆の小説を読破してたまたま1回だけ現代国語の成績が10段階評価の10を取ったから小説家になろう、と様々な瞬間的な妄想を持っていた高校時代に音楽を志そうという新たな夢が始まった瞬間でした。
その瞬間は「旅」という少し現実から離れたところから始まった訳です。
しかしながら、そんな妄想や瞬間的な夢だけではすぐに前には進めない現実を目の当たりにしたのは東ドイツから帰ってきて程なくしてからでした。
愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを始め、中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、桐朋学園研究科ではピュイグ・ロジェ、キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退職後広島交響楽団の客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を勤める。同楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテなど多数の協奏曲をソリストとして共演し、いずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、宮崎国際音楽祭に三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」やチェンバーソロイツ佐世保のメンバーでもある。また室内楽の分野でも欠く事の出来ないチェリストとして著名な演奏家との共演も多い。
チェロカルテットCello Repubblicaの主宰や宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」、生まれ故郷である名古屋で「大人の室内楽研究所」を立ち上げ、地域の文化向上をライフワークとするなど、活動は多岐に渡る。2008年のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲に続き、2012年に発表したアルバム『情景』はレコード芸術誌上で準推薦盤の評価を得た。
現在、東京音楽大学教授、京都市交響楽団特別首席奏者、スズキ・メソード特別講師、東京藝術大学非常勤講師。日本チェロ協会理事、みやざきチェロ協会名誉会員。