第2回「appassionato」
チェリスト
山本裕康
ドイツの旅から帰るとすぐに林峰男先生にはチェロ界の重鎮であった、故・井上頼豊先生を紹介して頂きました。それだけでもはや音楽大学に進学することが決まったような気分になり「今の成績では行ける大学はない」と担任の先生から言われ続けていた僕にも暖かな光が差し込みました。
入試を控えて・・・
高校の音楽の先生にはちょっとドヤ顔で「音大を受験します」と伝えると先生はニコニコしながら「ソルフェージュや楽典はもちろん、ピアノは大丈夫だろうな? なんでも僕に相談しなさい」と上機嫌でした。
普通科の高校から音楽大学に進学する生徒なんて今まで皆無だったでしょうから、音楽の先生にしてみたら嬉しかったんだと思います。
とは言うものの「ソルフェージュ」「楽典」「ピアノ」という先生がおっしゃった単語で知っていたのは「ピアノ」だけでした。
そのソルフェージュってなんだ? 楽典ってなんだ?
今のようにスマホで調べられる時代でもありませんでしたし音楽大学を受験するといった手前、先生にそれはなんですか? とも聞けず、悶々としながら帰路に着いたのを覚えています。
数日後、いつものように学校からの帰りにJRの駅から自宅まで自転車を漕いでいると『ソルフェージュ・楽典・ピアノ教えます』と言う看板を発見。
これだ!と思い、その看板が掛けられた家の呼び鈴を押しました。もちろんアポ無しです。
その家からは若い女性の先生が現れ、とにかく音楽大学を受験するためにソルフェージュを習いたいと伝えました。
とても優しい先生で、ピアノのあるレッスン室に通されてお茶とお菓子を出して頂きました。そして「受験ですよね? あなたがどれぐらいの力があるかを知りたいから簡単なテストをさせてもらいますね」とおっしゃり、五線紙を渡され「G-dur。ト長調で4分の4。8小節書いてください」と言われました。
いわゆる聴音と言うものです。
確かに日本語でしたが、僕にはこの人が何を言っているのか全くわからず目が点。
先生は「ト長調で8小節よ」と念を押すよう言って下さったのですが僕は何をしたら良いのかも分からず、とりあえずその五線紙の一番上に『ト長調』と書きました。
先生はそれを見て「ト長調は♯一つでしょ? それをまず書いて」と。
その♯をどこに書くのかもわからず、1番上に書いたト長調の隣に大きく♯を書きました。
先生は絶句。しばらくして「音楽大学を受験するのは本気ですか? この感じでは無理だと思います。何年もかかってと言う覚悟があるならもちろん教えますが」と言われました。
「やります。やりますので教えてください」と懇願して楽典と共に教えて頂くことになりました。
ピアノはその先生の先生(明和高校音楽科の怖い先生)を紹介して頂き、そこにも通うことになりました。
そんな調子でしたが、一応形だけは立派な受験生になる事が出来ました。
スズキ・メソードでは沢山の曲を弾いて、合奏団でも様々な楽曲を弾く事が出来たのも、全て音を記憶して弾いてきた事に他なりませんが、落ち込むどころかその記憶して弾いた事に対して(実は僕ってなかなか凄いかも)と変なところだけは前向きな受験生でした。
入試を控えた発表会での一枚
運命の受験は2月の後半。1月の半ばに呑気にホテルを探しましたがどこも満室。
受験シーズンなどホテルは予約が出来ない事も知らず相当焦りましたが、新宿にあった「稲葉屋旅館」の予約が出来て、あとは試験を受けるだけと言う所まで漕ぎ着けました。
プロフィール
愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを始め、中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、桐朋学園研究科ではピュイグ・ロジェ、キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退職後広島交響楽団の客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を勤める。同楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテなど多数の協奏曲をソリストとして共演し、いずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、宮崎国際音楽祭に三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」やチェンバーソロイツ佐世保のメンバーでもある。また室内楽の分野でも欠く事の出来ないチェリストとして著名な演奏家との共演も多い。
チェロカルテットCello Repubblicaの主宰や宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」、生まれ故郷である名古屋で「大人の室内楽研究所」を立ち上げ、地域の文化向上をライフワークとするなど、活動は多岐に渡る。2008年のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲に続き、2012年に発表したアルバム『情景』はレコード芸術誌上で準推薦盤の評価を得た。
現在、東京音楽大学教授、京都市交響楽団特別首席奏者、スズキ・メソード特別講師、東京藝術大学非常勤講師。日本チェロ協会理事、みやざきチェロ協会名誉会員。