みなさんこんにちは。才能教育研究会、スズキ・メソード会長の早野龍五です。
3月28日に、私の新著『「科学的」は武器になる―世界を生き抜くための思考法―』(税込 ¥636)が新潮文庫から発売されました。2021年に新潮社から出した単行本の文庫化です。
ちょっと「イカメシイ」タイトルの本ですが、多くの部分は私の半生記でもあります。私と鈴木鎮一先生との出会い、私もメンバーの一人であった、1964年の海外公演ツアー(テンチルドレン・コンサート)、科学を目指した高校時代、東京大学物理学科教授としての研究生活、そして、スズキ・メソード会長になってからのこと、などにも触れています。
以下、本書の一部を引用しながら、私とスズキとの関わりについて、ご紹介しようと思います。
100点よりも上の領域 — ヴァイオリンとの出会い
私は岐阜県大垣市出身ですが、父の仕事の都合で、幼児期に松本に移り住み、ご縁あって鈴木鎮一先生のお宅(現在は鈴木鎮一記念館)に通って、レッスンを受けることになりました。
科学の世界は、常にグローバルな世界です。研究者は地球上のあちこちに散らばり、その知見は瞬く間に共有されて、日々熾烈な競争が繰り広げられている。でも、競争に勝つことがすべてではなく、世界にライバルがいると気づいた時点で自分の視野は広がり、「世界の中の日本」や「世界の中の自分」という視点を持つきっかけになります。日本の中だけで生活していると世界の存在を意識することはあまりありませんが、プロの科学者となれば、世界を意識せずに仕事をすることはできません。
僕が世界の存在を最初に意識したきっかけは、 4歳で始めたヴァイオリンでした。今、僕はスズキ・メソードという国際的な音楽教育団体の会長を務めていますが、それは僕がこの組織の創設まもない頃に、創始者の鈴木鎮一による直接指導を受けていたということが大きな理由です。
鈴木先生は「精神の気高さ」を持っている方でした。レッスンは大変に優しく楽しいのですが、家に帰ってよく考えてみると、実はかなり厳しく叱られていたんだと気づくことも多々あったのです。
一番怖かったのは、「練習してきましたか?」という質問です。練習をちゃんとしていない、食後に何回かさぼってしまったなとか、思ったほどにはやっていない、という時は、自分がそれを一番よく知っています。先週来た時から比べて、自分が進歩しているか、していないかは自分で分かっている。そこで「はい」と答えるか、「いいえ」と答えるのかは、子ども心に、ものすごい重圧でした。
鈴木先生のレッスンで、もうひとつ怖かったのは、「あなたは誰に教わってきましたか?」という質問でした。これは、誰のレコードを聴いて、練習してきましたか、という意味なのです。ある日のレッスンで、僕はちょっと「個性」を出して演奏して見た。そうしたら、例によって、鈴木先生は「今週はどなたのレッスンを受けてきましたか?」とお聞きになったのです。そして、それに続いて、衝撃の一言。言葉はもっと優しかったと思いますが、要するに「あなたの弾き方には品がない」と言われてしまったのです。
先生が求めるのは人間の品格であり、個性とはもっと地道な積み重ねの先に、品格とともに身につくものである 。そんな深い真理を、たった一言で教えられた出来事でした。
この時、僕は中学生だったと思いますが、音楽にも、そのほかのことにも、100点よりも上の領域があるんだ、学校の試験とは違うのだということを、痛切に教えられたのです。
これは科学の世界でも同じだということを、僕は後々、痛感することになります。研究の個性や目の付け所というのは、人から教わるものではなく、過去の研究を知り、今の課題を知る中で、自分にしかできない研究を追求しながら見つけていくものです。学校のテストでは、どこまでいっても100点より上はありません。100点で満足すると、努力は止まってしまう。でも、音楽の世界にしろ、科学の世界にしろ、ビジネスの世界にしろ、社会には100点より上の領域があります。
そんな領域が存在することを、僕に最初に教えてくれたのはヴァイオリンでした。
アメリカ演奏旅行の衝撃
僕が初めて「世界」を意識させられたのは、今から60年前、1964年3月に行われたテン・チルドレンツアーの時です。その頃は日本人が観光目的でパスポートを取得できない時代でした。
(…)僕は、10人の子どもたちがアメリカを演奏旅行して回る「テン・チルドレンツアー」というスズキ・メソードの企画で、アメリカに行くことになります。スズキ・メソードで学ぶ子どもたちのフィルム映像がアメリカで紹介されて、その演奏ぶりがずいぶんと評判になったので、実際に演奏するところを見せようじゃないかと立ち上がった企画でした。「テン・チルドレンツアー」はこの後も継続されて、毎年選抜された10人が世界各地を回るようになったのですが、僕が参加したのはその第1回です。
(中略)
子どもながらに、“いずれはアメリカに行きたい。自分ももう一度来て活躍できる日が来るだろうか? いや必ず来たいし、活躍する自分でありたい” と思う気持ちが出てきました。
そして、僕は22歳の時、東京大学で物理学を専攻する大学院生として、再びアメリカの地を踏むことになったのです。
早期教育論に思うこと —「モノになる」ではなく「人になる」
その後、物理学の研究者として世界を飛びまわり、東京大学で大学院生を指導する立場だったのですが、ご縁あって2016年以来、子どもの頃に鈴木先生から受けた教えを思い出しながら、スズキ・メソードの会長を務めています。
スズキ・メソードの会長になってから、よく親御さんから「どうでしょう。うちの子はものになりますか?」と聞かれます。そこで僕は、当時の鈴木先生の言葉にならって「モノになるのではなく、人になります」と答えています。3歳からヴァイオリンをやったからといって、プロになる人はごくごくわずかです。音大に進学するという人はもうちょっと多いかもしれないけれど、それでもわずかでしょう。
(中略)
音楽はすぐに何かの役に立つような実用的なものではありません。でも、これは音楽に限らず、習い事全般に言えることですが、最初に「何かのために」と思うのではなく、とにかく楽しむために時間を使ってほしいと思うんです。長い人生、すぐに役に立つことを追い求めているばかりでは世界は広がらないし、子どもが豊かな時間を送っているとは言えない。短期的な有用性を考えるよりも、豊かな時間を送ることが、巡り巡って人生のプラスに働くというのが、科学者としての僕が言えることです。
「アマチュアの心で、プロの仕事を、楽しそうにやる」
この本を通しての一つのテーマが、「アマチュアの心で、プロの仕事を、楽しそうにやる」ということかと思います。誰でも、最初に取り組むことは素人(アマチュア)です。しかし、もしその事に(音楽にせよ、他のことにせよ)仕事として取り組むようになったとすれば、プロフェッショナルなレベルにまで高めなければならないでしょう。そのためには、毎日のお稽古も必要です。時には、苦しいことも、楽しくないこともあるでしょう。しかし、それを「楽しそうに」やることがとても大事だと、僕は思っています。そうすることで、自分も楽しくなるし、周りの人たちも一緒に楽しんでくれる。
皆さんも、ぜひ、「楽しそうに」お稽古をして、100点以上の世界を目指してください。
プロフィール
早野龍五
東京大学名誉教授。物理学者。
1979年東京大学大学院理学系研究科修了、理学博士。
スイスのCERN研究所客員教授、東京大学大学院理学系研究科教授などを経て、2017年より東京大学名誉教授。
2016 年より(公社)才能教育研究会会長 。
反物質の研究により2008年仁科記念賞、第 62 回中日文化賞などを受賞。近著に、糸井重里氏と共著の「知ろうとすること」(新潮文庫)「『科学的』は武器になる」(新潮社)がある。
Monthly Suzukiでも、この文庫版が紹介されています。是非ご覧ください!https://www.suzukimethod.or.jp/monthly/kagakuteki3.html