第1回 非認知機能とは?
東北大学
認知行動脳科学
細田千尋
私の専門は脳科学です。脳科学を応用し、子どもの教育やウェルビーイングについての研究を行っています。
私の父が、幼少期から高校までスズキ・メソードでヴァイオリンを習っており、私自身も、幼少期から長年ピアノを習っておりました。そして今は、スズキ・メソードで子どもたちがヴァイオリンを習っております。
今回の連載について
この連載では、子どもの教育に関することを、広く科学的な視点からお伝えできればと考えております。 私自身は研究者でありつつも、子育て真っ盛りの保護者です。学術的に言われていることを実生活に落とし込む難しさなどは痛感しております。そんな経験も踏まえながらお話しができればと思っております。
非認知能力にまつわる誤解
非認知能力を伸ばすことはとても大切です。幼児、児童のうちから非認知能力を育てていくことが欠かせません。
・・・ここ数年、こんな文言を至る所で見聞きします。
ゲームやYouTubeにはまり、やることを先延ばしする我が子を見ると、小さい時に非認知能力を育てることができていれば・・・と落胆する親御さんや、今のうちから非認知能力を育てなければ、と意気込みつつも何をすれば非認知能力が上がるのかわからない、と悩む親御さんも多いでしょう。
この非認知能力、という言葉はその知名度と裏腹に、まだ多くの誤解があります。
認知能力が、記憶力、思考力、計算力、言語力、IQ(知能指数)といったテストで数値化して評価できる能力です。
それに対して非認知能力は、数値化できる認知能力以外のもの、例えば、意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった能力を指します。
非認知能力を伸ばす鍵は未就学児のときにある訳ではない
この非認知能力、という言葉を、認知能力と対比させて初めて使ったのは、ノーベル経済学賞の受賞者でシカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授です。
就学前の子どもに対する教育投資効果に着目し、「就学後の教育の効率性を決めるのは、就学前の教育にある」とする論文を、科学雑誌『Science』で発表しています。近年、非認知能力について未就学児からの教育の重要性を説いているものの多くはここに「根拠」を見ています。
ところがこの根拠、それほど強いものではありません。
ヘックマンの研究では、未就学時に教育プログラムを受けた人では、受けなかった人にくらべて、約40年後に収入が高く、犯罪率が低かったことなどを示しています。一方で、ヘックマンが測定していた学力やIQについては、プログラムを受けたか受けなかったかで違いは見られませんでした。そこで彼は、「将来の収入の高さなどの差を生んだのは、従来重視されてきた学力やIQといった認知機能ではなかった、つまり認知能力以外の何か(非認知能力)であろう」と論文で述べました。
つまり、この非認知能力という言葉が初めて登場した論文では、具体的に意欲や忍耐力といった今日非認知能力と呼ばれているものの測定は行われておらず、認知機能では説明がつかなかった、ということでした。最近では、ヘックマンの主張を裏付けるものは見当たらないという論文も出ています。つまり、未就学児への教育投資の有用性の論拠の一つが否定されています。
また、ヘックマン以前には、マシュマロテストとして、「幼児が目の前のマシュマロを我慢して食べずにいられるかどうかが、将来の成功を予測する」という研究が有名でしたが、こちらもその再現性が近年かなり問題視されています。
非認知能力は後伸びする
非認知能力、という言葉に対する大きな勘違いの原因の一つが、認知能力をとても狭義にしか考えていないことにもあります。
例えば、数値化できない“コミュニケーション力”は、冒頭でも示したように、非認知能力とカテゴリーされることが多く見られます。ところが、子どもがお友達と仲良くお喋りができるようになる(相手に対して適切なコミュニケーションを取れる)ことも、認知能力の発達の一部です。
お友達の表情を認知し、相手の気持ちを考える視点に立ち、自分の行動や発言を決める、というプロセスは、認知的な機能の繰り返しによって行われるものです。つまり、コミュニケーションを上手にとる、という非認知能力とカテゴリされるものも、認知能力が必要なスキルなのです。認知能力と非認知能力は両方のバランスを保ち絡まりながら発達していくのです。非認知能力だけを早期から単独で伸ばすということは基本的にはあり得ないといっても過言ではありません。
科学的には、認知能力の発達よりも非認知能力の発達の方が後から伸びていくことも示されています。
IQが7歳くらいで一定になるというのに対して、自己制御、やり抜く力などは、特に思春期、青年期以降にも伸びていくものであることがいくつかの研究から示されています。
脳科学の観点から見た場合、これは合理的です。なぜなら、非認知能力や認知能力に関わる前頭前野という場所は、それ以外の脳の場所に比べて発達がとても緩やかで、思春期・青年期にかけて発達していきます。私たちの研究からも、やり抜く力に関わる前頭前野の一部(前頭極)は、やり抜く力が向上すれば、成人を過ぎても発達する(脳の構造が変化する)ことを示しています。
つまり、非認知能力は、未就学児を過ぎても伸ばすことができ、長期にわたって伸ばし続けていくものである、ということが言えます。
非認知能力を伸ばす環境
非認知能力、とくに自己制御力、自主性、やり抜く力といったものは、楽器の習得や学校の成績にも直結します。
では、どうしたらそれを伸ばせるのでしょうか?
私たちの研究では、これらの力の伸ばし方が、親や教育者の在り方と密接に関わっていることを示しています。
子どもと温かく、協調的な関わりを持ち、その温かさの下で柔軟に子どもに対応できる親元で育つ子どもは、自己制御(非認知能力)がより発達していました。
一方で、子どもの心理や行動を厳しく統制するような接し方をしていると、一見従順でやるべきこともやっているように見えるのですが、主体性が低く、他者には攻撃的な反応を示す非認知能力が低い子どもになる傾向が見られました。
つまり、子どもが非認知能力を伸ばすことができるかどうかには、本人だけではなく、周りの大人たちの接し方、がとても影響するということです。
毎日練習しなさい! 姿勢を良くしなさい! 間違えたところは繰り返し練習しなさい!・・・本人が楽しめているか、やる気になれているか、そんなことよりはまず習慣づけをしたくて、ついつい厳しく統制するような声がけをしてしまいがちです。
ところが、その接し方では子どもの非認知能力は伸びず、自主性も育たないのです。厳しい声がけをしたくなる気持ちをグッと堪えて、一方的に指示するのではなく、自分も一緒に練習したり、協調的に接していくことをなんとか頑張ると、親も子どもも非認知能力が上がり、脳も変化しているのかもしれません。
ただし、一度変化した脳も、やらなくなるとすぐ元に戻ってしまうので、やはり継続していくことが重要です。
プロフィール
細田千尋
東北大学 加齢医学研究所 認知行動脳科学研究分野 准教授。
東北大学大学院情報科学研究科 准教授。
東京医科歯科大学博士課程修了。博士(医学)。内閣府主導ムーンショット型研究開発事業プロジェクトマネージャー、内閣府・文部科学省が決定した“破壊的イノベーション”創出につながる創発的研究支援研究代表者など複数の国家プロジェクトの研究代表を務める。International symposium Adolescent brain & mind and self regulation Young investigators Award June受賞、成茂神経科学賞受賞など受賞多数。仙台市学習意欲の科学的研究プロジェクト委員。PRESIDENT にコラム「脳科学で考える世の中のウソ・ホント」 を連載中。NHK 「思考ガチャ」、NHK Eテレ「バリューの真実」、日テレ「カズレーザーと学ぶ」などメディア出演多数。
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