第4回
「Pause」
チェリスト
山本裕康
楽観的な僕とは言え「浪人」と言う身分を与えられてからは全く立ち直る様子もなく、ダラダラと毎日を過ごしていました。
チェロをちゃんと練習することもなく、不合格となった原因であろうソルフェージュの実力強化のための計画を練るわけでもなく、アルバイトをするわけでもなく、ひたすらぼんやり自分の未来を案じていました。
案じると言っても(来年再び受験に失敗したらどうしよう)という限りなくちっぽけな不安に慄いていたわけです。
欲しいものがあるわけでもないのにフラッと書店やレコード店(もはや死語ですが)に行ったり、一般大学に合格した高校時代のテニス部の仲間に誘われてテニスに出かけたり、とても浪人生とは思えない生活をする僕に母親が激怒。
「車の免許ぐらい取って、私の買い物の運転手ぐらいしなさい!」と言われる始末。
その一言で僕は目が覚めました。
正直「良い事言うな」と思い、家の近くまで送迎バスが来てくれる自動車学校に通うことになりました。
そんな母親ももうこの世にはいませんが、「浪人時代はずっと息子が家にいて良い1年だった」と友人には話していたようで、浪人という親不孝と親孝行を同時にするというなんとも複雑な1年でした。
話を戻します。
自動車学校への送迎のバスに乗る人は大体決まっており、次第に話したりするようになりました。
社会人が多く会社の命令で免許を取りに行っているという若い方がほとんどでした。そんな彼らの話を聞いていると不思議と自分も社会に出たような気分になり、少し次への扉を開けたような気になりました。
免許を取得した6月の半ばにはすっかり立ち直り、ソルフェージュのレッスンには週に2回通い始め、大学に入ったら何をしようかと再び夢を膨らませていました。
とはいえ不安も常に共存していて、その不安が限界に達すると中学の時から熱烈に好きだったYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を浴びるように聴いていました。
そのYMOのメンバーは3人とも好きでしたが、特に坂本龍一さんは僕のヒーローでした。
「東京に行けたら坂本龍一さんに会える」と自分を励ましていました。
そして坂本龍一さんと初めてお会いする機会を得たのは30代の半ばでした。
40代になり坂本さんのチェロとピアノの曲を坂本さんのピアノと一緒にNHKホールで演奏した日の興奮は決して忘れる事はないでしょう。
嬉しかったのか、理由はわかりませんが帰りの車の中で1人で泣いた事もよく覚えています。
そんな坂本龍一さんがお亡くなりになって2ヶ月近く経過しましたが、僕がこのFruitfulに今まで書いてきた時代の大半を支えてくれていた方だっただけにいまだに立ち直れていません。
再び話を戻します。
夢を膨らませたり不安と向き合う浪人の日々ではありましたが、今から思えばそういう日々は大学入っても、仕事を始めてからも、そして今でも続いていますし良いリハーサルの1年になったと思っています。
そして浪人生活も板についてきた11月に同居していた祖母が亡くなり、大学に落ちた事などさほど大したことではなく、人を失うことの大きさ、辛さや悲しさを知りました。
本当はもっと覚えていることを書きたかったのですが、全て書いていると「僕の浪人時代」という題名に変えないといけないぐらいになってしまいますのでこの辺りで浪人時代の話は終わりにしたいと思います。
今はもうありませんが「駒場エミナース」というホテルが2回目の受験への前線基地になりました。
愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを始め、中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、桐朋学園研究科ではピュイグ・ロジェ、キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退職後広島交響楽団の客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を勤める。同楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテなど多数の協奏曲をソリストとして共演し、いずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、宮崎国際音楽祭に三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」やチェンバーソロイツ佐世保のメンバーでもある。また室内楽の分野でも欠く事の出来ないチェリストとして著名な演奏家との共演も多い。
チェロカルテットCello Repubblicaの主宰や宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」、生まれ故郷である名古屋で「大人の室内楽研究所」を立ち上げ、地域の文化向上をライフワークとするなど、活動は多岐に渡る。2008年のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲に続き、2012年に発表したアルバム『情景』はレコード芸術誌上で準推薦盤の評価を得た。
現在、東京音楽大学教授、京都市交響楽団特別首席奏者、スズキ・メソード特別講師、東京藝術大学非常勤講師。日本チェロ協会理事、みやざきチェロ協会名誉会員。