第16回「mobile phone」
神奈川フィルハーモニー管弦楽団に再就職した頃、僕も含め周りの友人たちが何に躍起になっていたかというと「携帯電話」でした。スマホではなく携帯電話。
今から30年ほど前になりますが、当時の携帯電話の進化や軽量化競争は激しいものがあり、半年ごとと言うと大袈裟かもしれませんが、気付くと新たな機種が出現して誰が最初にその機種を購入するのかという今から思えば大変くだらない競争が仲間内でも激化していました。
アナログからデジタルへの移行、NTTドコモが「iモード」を開始し、世界に先駆けて携帯電話でのインターネット閲覧やメールが可能となった時代で、「P201は100グラムを切って97グラムらしい」とか「僕はN207がやっぱり薄型としては完成系だよ」と仕事場ではそんな話題が蔓延していました。
注)Pはパナソニック、NはNEC
僕が携帯電話を持ち始めた頃は6.5秒話すのに10円かかりました。そしてNTTドコモのiモードが出現した頃は10秒から15秒で10円と少し安くなりましたが、1回の通話は大変贅沢でした。
気軽に電話をする感覚ではなかった事を覚えています。
ではなんのために持っていたのかと言うと、新しい物への興味と、ただ単に凄いスピードで走り始めた平成という時代の風に乗せられ必死に置いていかれない様にしていただけだったような気がします。
当時の携帯電話の電話番号は誰しもが030から始まりました。ところが相手が300キロ以上離れたところにいる時は040にしてかけ直さないといけない時代でもありました。
今では海外との通話もWi-Fiさえあれば無料でどこにいても繋がれる時代ですから、この技術の進化は恐ろしささえ感じます。
携帯電話でメールが送受信できるようになったのもその頃で、初めてiモードでメールを受信した日の事をよく覚えています。
いつも楽器の調整をしてもらう楽器屋さんで、購入しようとしていた弦が品切れで、スタッフの方から「弦が入ったらすぐにメールしますね」と言われましたが、パソコンも持っていない僕でしたから「メールやっていないんです」と答えると「携帯のiモードで送れますよ」とその場でそのiモードのメールの使用方法を教えてもらいました。
そして目の前のスタッフの方から送られてきた文字を見て驚愕しました。
すごい時代になったんだと心から感動しました。
それからというもの「雨降ってる」「リハーサル終わった」「スパゲッティ作った」などと、意味もなくどうでも良い事を友人たちに送信し、時代の最先端を行く気分を味わっていました。
そんな携帯電話と並行して熱狂的に夢中になっていたのが都響在籍時代に無理やり誘われて始めたゴルフでした。
毎週ゴルフの雑誌を買い、家の近くのゴルフ練習場へ行き技術の習得に余念がない日々。
ところがすぐに上達するほどゴルフも甘くはなく、やはり足腰だとジョギングをしたりジムに通ったりしていました。
日々の上達は米粒一つ、というのはチェロに通じるものがあります。
ただチェロに通じるものがあるだけで、実際はこの頃チェロの上達を目指した形跡もありませんし、どんな仕事をしたのか、どんな曲を演奏したのかすらほとんど覚えていません。
僕の人生で最も浮かれていた時代でした。完全に音楽生活、チェロ生活が失われた5年だったと思います。いや6年かな。
その浮かれた時代の最後を華々しく飾ったのがサッカーの「2002年日韓W杯」でした。
その頃にはパソコンも購入し、W杯のチケットを購入するのに朝までずっとインターネットと格闘してやっとの想いで4試合のチケットを購入することに成功しました。
大分、神戸、埼玉、そして決勝の横浜の試合に行き、みるも無惨に散財しました。
ここまで浮かれた生活が続くと流石の僕もiモードならぬ反省モードに突入。
圧倒的にチェロが下手になっていった事も薄々感じていましたし、それを戻そうと焦る日々が始まりました。
しかし浮かれた数年を取り戻すにはやはりそれなりの月日を必要としました。
上手くいかないことに焦れば焦るほど自分は何を求めているのかもわからなくなる始末。
眩いばかりの浮かれた分だけ漆黒の闇は深かったように思います。ただ再びチェロ中心の生活が戻り、徐々に練習のペースも軌道に乗り始めて光明が差し始めた頃、神奈川県民ホールのオーケストラピットの中で倒れました。
(次回に続く)
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愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、イタリア・キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退団後広島交響楽団客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を、同時に2011年より2026年3月まで京都市交響楽団特別首席奏者を務める。神奈川フィルハーモニー管弦楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルトなど多数の協奏曲をソリストとして共演しいずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」や「チェンバーソロイツ佐世保」のメンバーでもある。
これまでにバッハの無伴奏チェロ組曲全曲、アルバム『情景』、石田泰尚氏とのDVD「DUO」を発表している。
宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」や自身の生徒達の為のコンサート「Celloyasu Kids Fes」を主催、さらには東京代官山でのアートと音楽のフェスティバルの立ち上げやボランティア活動の基盤作りの為に一般社団法人「ArDe」の設立に携わる。
現在、東京音楽大学教授、スズキ・メソード特別講師、日本チェロ協会理事、一般社団法人ArDe理事。
みやざきチェロ協会および信州チェロ協会名誉会員。



