第3回 被災地の復興を目指して
一般社団法人エル・システマジャパン
代表理事
菊川 穣
エル・システマジャパンの誕生
2008年に、ドゥダメルが率いるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(現シモン・ボリバル交響楽団)が、初めての日本ツアー(東京、広島)を実施、クラシック音楽関係者だけに留まらない大反響を得ました。日本でも、類似の取組みを始めたいという声は存在していましたが、エル・システマジャパンが誕生したきっかけは、2011年の東日本大震災でした。
当時日本ユニセフ協会にて東北3県の緊急支援事業のコーディネーターとして東奔西走していた私は、子どもたちの長期的な未来を案じていました。特に福島県は、津波の被害に加えて原発事故の大きな影響を受けており、放射線から子どもの身体を守ること、そしてその数値が下がってきても、偏見や風評被害を避けにくい状況が続き先行きの見えないことに、胸を痛めました。
こうした時期にユニセフの親善大使として来日してくれたベルリン・フィルハーモニックのメンバーの一人(ファーガス・マクウィリアム)から、エル・システマについての話を受けました。ベルリンフィルは、アッバード、ラトルという新旧音楽監督らとの交流を通して、エル・システマを最も理解する団体のひとつでした。私は、その存在を知っていましたが、それまで日本と結びつけることはありませんでした。しかしその後、集団での子どもの音楽教育というものが、心をとらえて離さなくなりました。私自身の高校時代の吹奏楽部の活動や、国連勤務でのアフリカ滞在時の人々の交流経験からも、音楽での表現活動が、人々を癒し鼓舞し、つなげる力を直観できたことがきっかけとなりました。
ただ音楽家でない私にとって、また音楽教育の盛んな日本でエル・システマを始めるのは、大きなチャレンジでした。しかしぜひやっていきたいという福島県の相馬市や、2008年のコンサートツアーを含め、これまでエル・システマの活動を日本に紹介することに尽力されてきたKAJIMOTOの佐藤副社長(当時)を始めとする国内外の応援してくれる人々に恵まれ、震災から1年がたった2012年の春、船は動き出しました。音楽を通して子どもたちの生きる力を育み、やがて被災地を活性化していくという大きなミッションを掲げて。
福島県相馬市での活動の始まりと発展
設立時から今も熱心に指導するバイオリン指導者の一人は、第2回で触れた須藤亜左子先生で、自宅が原発事故で帰宅禁止区域に指定された福島の被災者です。許された短い一時帰還で持ち出した子ども用バイオリンと共に、エル・システマの活動が始まることで、新しい人生の活路を見出してくれています。
活動は一つの小学校の器楽部へ須藤先生を派遣し、地域の楽器店の協力でボロボロになっていた楽器を修繕、必要なものを購入する形で、小さく始まりました。そして、別の小学校の合唱部でも、顧問の音楽教員合唱指導者である小島弥生先生、さらに知人の伝で紹介頂いた児童合唱界の権威である古橋富士雄先生による不定期の指揮指導が行われるようになりました。これらの学校部活動を、学校外の週末弦楽器、コーラスとして発展させ、異なる学校や年齢の子が、希望すれば誰もが無料で参加できる仕組みとして整備したのが、相馬子どもオーケストラであり子どもコーラスです。
普段の練習は子どもオーケストラとコーラスと別々ですが、年に1回、地域の学校吹奏楽と合同でエル・システマ子ども音楽祭を2015年から実施。コロナ禍で活動ができなかった時期もありましたが、今年2024年で第9回目を数えるまでになりました。また、ホルン、フルート、クラリネット、ダブルリード楽器等、オーケストラとして必須の管楽器に焦点を当てる形での管楽器教室も2017年より開始。個人練習が中心で、指導者も仙台等の遠隔地から来てもらっていることもあり、一歩一歩といったところでありましたが、子どもたちも成長し、最近はフルオーケストラに参加し、自信を深めています。
これまでの主だった対外的なイベントとしては、2015年3月に、エル・システマが生んだ世界のスーパースターであるグスターボ・ドゥダメルが、自身が音楽監督を務めるロサンゼルス・フィルハーモニックが実施しているユース・オーケストラ・ロサンゼルス(YOLA)の代表メンバーと来日した際に、一つの成果として結実しました。相馬での交流練習と演奏会、そして、ドゥダメル指揮による東京サントリーホールでの合同公開リハーサル(ドゥダメルと子どもたち)。どれもが、相馬の子どもたちにとって掛替えのない経験となりました。特に、子どもコーラスによるさくらさくらによる歓迎演奏後、子どもオーケストラメンバーが、YOLAのメンバーと一緒につくりあげたドヴォルジャークの交響曲第8番第4楽章では、ドゥダメルによって子どもたちの音色がどんどんと変化していく様を体感できました。子どもや観客はもとより、ご臨席賜った高円宮妃妃殿下も、コンサートをたいへん喜んで下さいました。
そして、震災から5年が経った2016年3月には、相馬子どもオーケストラは相馬、相馬東両高校の吹奏楽部の有志と共にベルリン日独センターに招待され、ベルリン・フィルのメンバーとベートーベンの交響曲第5番を共演しました。ライプチヒのトーマス教会ではバッハの名曲の数々を演奏させて頂く機会にも恵まれました。
岩手県大槌町での活動の始まりと発展
一方、2014年には、岩手県大槌町でも弦楽器教室を始めました。相馬よりさらに北に位置する大槌町は、人口あたりの津波の死者・行方不明者がもっとも多い自治体の一つで、震災前と比べて人口は2割以上減っていました。元々、吹奏楽が盛んで、音楽を愛する人も多いこともありましたが、地元の音楽団体「槌音」の協力を得て、若いバイオリン指導者(スズキ・メソード出身)が被災者と同じ仮設住宅に住み、仮設の学校に隣接するプレハブの子どもセンター、公民館等で放課後の教室を始めました。相馬以上に、震災前から家庭の経済状況が困難な子どもたちが多く、ひとり親世帯が占める割合も大きいことにより、より丁寧に子ども一人一人に寄り添った指導が必要とされ、居場所(拠り所)としての意味も持ったと言えます。
町内2ヶ所での放課後弦楽器教室に加えて週末の教室が、大槌子どもオーケストラとして発展していくと同時に中学高校の吹奏楽部への講師派遣といった形態での支援も展開し、人口減や教員の働き改革により学校の部活動の活動が制約されつつある日本の現状に応える形での活動を行なっています。これまでは、中学に入ると環境の変化が大きく、弦楽器教室の活動を辞めてしまう子が多かったのが課題でしたが、近年は、中学生活、そして部活動とも両立して複数の楽器をこなす子も見受けられるようになりました。
大槌でも年に一度の発表の場として初年度から実施していたクリスマスコンサートが昨年第10回を数えるようになりました。更には、町内外の様々なイベントにて演奏する機会を通して、本番の大変さと楽しさを学び成長をしていることは、相馬と同様と言えます。
相馬、大槌での活動への評価
客観的なデータを得る目的で、2016年から18年にかけて、慶應義塾大学SFC研究所に委託し、エル・システマジャパンの相馬、大槌での活動についての外部評価調査を行いました。オーケストラやコーラスの活動に参加した子どもや、その保護者、地域の関係者への質問票調査やインタビューを時系列で実施し、分析しましたが、例えば「夢中になれることを見つける」は、5段階スケールでの回答から4.3(2016)から4.6(2018)に、「地域の良さを伝える」では、3.6(2018)から4.1(2018)と増加したことが観察されました。そして、地域の関係者からは、やはり、子どもたちが音楽を通して成長することで、震災で傷ついた地域に活力が出てきたとの声がインタビューを通して寄せられました。このことは、上述した子ども音楽祭やクリスマスコンサートでの来場者アンケートからも同様な感想が寄せられており、活動としての成果と言えると実感しています。
学ぶ機会の格差
日本の国土は比較的均等に発展してきていたインフラや公共サービスがありますが、それでも大都市と、地方の市町村での文化を享受する機会には格差があります。福島の浜通り、そして、岩手の三陸沿岸地域は、震災前から、子どもに習い事をさせられる家庭ばかりではなかったこともあり、どの子も無料で学べるという開かれた音楽活動は、幾重にも意義のあることであったと考えています。
最後に、2024年3月7日にTBS news23にて、震災関連ニュースとして放映された相馬の活動について(生きる力と居場所を音楽で…東日本大震災の翌年発足 相馬子どもオーケストラの高校生「今度は自分が支える」【つなぐ、つながる】)。震災当時3歳、8歳だった子どもが、オーケストラやコーラスの活動を通してどう成長したか、感じて頂けるかと思います。
プロフィール
菊川 穣(きくがわ ゆたか)
神戸生まれ。幼少期をフィンランドで過ごす。University College London地理学BA(1995年)、政策研究学(Institute of Education)MA(1996年)。(株)社会工学研究所を経て、国連教育科学文化機関(ユネスコ)南アフリカ事務所、国連児童基金(ユニセフ)レソト、エリトリア両事務所で、教育、子ども保護、エイズ分野の調整管理業務を担当。2007年に日本ユニセフ協会へ異動、J8サミットプロジェクトコーディネーター、資金調達業務に従事後、2011年より東日本大震災支援本部チーフコーディネーター。2012年、(一社)エル・システマジャパンを設立、日本ユニセフ協会を退職、代表理事に就任。公益財団法人ソニー音楽財団こども音楽基金選考委員会議長(2019年〜2021年)。公益財団法人音楽文化創造理事(2022年〜)。