第4回 ワーキングメモリと集中力・知能の関係性(2)
― ワーキングメモリのトレーニングの効果は知能等の向上に影響するのか? ―
東北大学
認知行動脳科学
細田千尋
私たちを取り巻く環境は絶えず変化します。つまり、私たちは、図らずとも環境に適応しながら生きています。変化する環境に適応しながら生きていくためには、生涯にわたって新たな思考や行動を獲得する必要があります。この過程に必須なものが知能です。
ヒトの知能は、物事の背後にある規則を抜き出し、組み合わせ、未知の状況を予測しながら、経験したことのない環境に適応するために必要とされます。また、知能が高いほど、学業や職業上のパフォーマンスが高く、健康で寿命も長いことを多くの研究が示しています。
知能とワーキングメモリの関係
このような背景の元、歴史的に見ても、知能を高める試みが続けられてきたのは、皆さんもご存じのとおりです。 ところが、「万人の知能を確実に高める方法」は、いまだに見つかっていません。
一方で、知能にはワーキングメモリが強く関わることが研究から明らかにされています。前回の記事で、少し説明しましたが、ワーキングメモリとは、情報を一時的に保持しながら、同時に操作も行う認知機能です。ワーキングメモリ課題の成績が高い人ほど知能得点も高く、ワーキングメモリ課題成績は、知能の個人差の 50%を説明するという報告もあります。そのため、ワーキングメモリをトレーニングすることが、知能を高め、学業や就業をはじめ日常生活のクオリティを向上するのではないか? という強い期待が存在し、多くの研究がされてきました。
ワーキングメモリのトレーニングで知能が高まるのか?
ワーキングメモリは、知能はもちろんのこと、知能以外の高次認知にも強く関連することがわかっています。また、加齢に伴い低下しますし、発達障害の症状にも関わっていることも示されています。
そのため、ワーキングメモリをトレーニングすれば知能を高められるのではないか? 老化防止になるのでは? 発達障害児の社会適応につながるのではないだろうか? という想いが出てくるのは、ごく自然なことのように思います。実際、これらを目的にワーキングメモリトレーニングが進められてきました。
ところが、結論から言うと、ワーキングメモリのトレーニングで、知能が高まる、という研究報告もあれば、知能を高めることはできないという結果も報告されているのが実態です。
ただし、最近では、複数の研究を横断的にメタ分析した上で、ワーキングメモリのトレーニング効果は、限定的であることが明らかとなっています。これはどういうことなのでしょうか?
ワーキングメモリのトレーニングの主な2種類
ワーキングメモリトレーニングには主に、二つの種類が存在します。一つはストラテジートレーニング、もう一つはコアトレーニングです。
ストラテジートレーニングは、その名のとおり、ワーキングメモリに記憶する方法を訓練します。
例えば、歴史のテスト勉強などを連想すると良いかもしれませんが、沢山の単語や年号を記憶する際に、ストーリーや視覚イメージを使って覚えるような「方法」の訓練をします。
この方法は、全く同じストラテジーを使える場面では有効な一方で、そうでない場面では効果がありません。例えば、ストラテジートレーニングで、チャンキング(区切りをつけて覚えること)などを使って80桁の数字を覚えることができるようになった人たちでも、数字以外の項目を記憶するときには、トレーニングを受けていない参加者と記憶成績が変わらないと言う結果が出ています。同じように、子どもを対象とした研究でも、ストラテジートレーニングでは、同じワーキングメモリ課題成績は高くなる一方で、読解力や数学のテスト得点は高くならないことが示されています。
一方で、コアトレーニングは、記憶の方法ではなく、ワーキングメモリ機能(容量)自体を高めることを目的とします。
何をするかといえば、研究ではNバック課題*が最も多く利用され、ワーキングメモリ課題を繰り返し行います。(商業ベースの調査では、文字や数字を再生する単純スパン課題や、逆の順番で再生する逆唱課題、心的回転課題などが組み合わされています。)このときのポイントは、その人ができるよりも少し難しいレベルに設定して、挑戦性が高い状態を維持することです。
さてその効果は?
*Nバック課題:n-back課題とは、連続して提示される情報(色、数字など)が、「n」回前に提示されたものと同じかどうかを判断します。「n」は数字で、テストの難易度になります。例えば、2-backなら、いま目の前に出ている情報が、2つ前の情報と同じか異なるかを比較し判断します。
ワーキングメモリトレーニングの効果判定基準
トレーニングの効果は、近転移と遠転移と言う二つの基準で判断されます。
近転移とは、例えば N バック課題のトレーニングによって、空間性ワーキングメモリ課題など、トレーニング課題以外のワーキングメモリ課題成績が高くなることを指します。これは上述でいうところの、ストラテジートレーニングの効果を指します。
一方、遠転移とは、知能課題やワーキングメモリ以外の高次認知課題(算数、読解、集中力など)など、トレーニング していない認知機能を使う課題の得点が高くなることを指します。多くの人が期待しているのは、こちら、遠転移でしょう。
トレーニングをしている内容自体の成績が向上するのは、あらゆるトレーニングで起こることです。例えば、ピアノ、バイオリンを練習して、ピアノ、バイオリンがうまくなるのは、トレーニング効果ですが、楽器演奏訓練が原因で知能が高くなれば遠転移となります(あくまで例えで、そのような報告はありません)。
初期の研究では、ワーキングメモリのコアトレーニングにより知能得点を高めることができるという報告が続きました。例えば、7- 15歳のADHD児を対象にコアトレーニングを行っています。トレーニング内容は、画面に提示される◯の位置を記憶する視空間ワーキングメモリ課題、数字を逆の順序で再生する逆唱課題、一つずつ読み上げられるアルファベットを複数記憶する文字課題などが使われました。毎日25分間のトレーニングを24日程度続けた結果、課題遂行中の多動が減少する、流動性知能が高まる、といった効果が示されました。さらに、健常大学生にも同様のトレーニングを行った所、同じように流動性知能への転移効果が確認されています。
ワーキングメモリトレーニングの効果への批判的研究とメタ分析
ところが、その後の研究では、トレーニング効果に否定的な結果が報告されています。2014 年には、スタンフォードやマックスプランクの認知心理学・神経科学を中心とする欧米の 70人の研究者が、ワーキングメモリトレーニングを含む認知トレーニングには日常生活のクオリティを向上させる遠転移効果はないというオープンレターを公開しました。
そのような背景の中で、ワーキングメモリに関する研究を包括的に分析するメタ分析ということが行われました。その結果、成人と子ども共に、概ね一貫した傾向があることがわかりました。
まず、トレーニング課題を繰り返すことでその課題の成績は向上します。
次に、トレーニングした課題とは別のワーキングメモリ課題の成績も高くなっていました。つまり、近転移も起こっています。
一方で、ワーキングメモリトレーニングによって流動性知能得点が高くなるという遠転移については、効果なしという結果と効果ありという結果が混在していました。ただし、いずれにしてもその効果がとても小さく、小さな効果を示す研究の手法にも問題点があることが指摘されています。
つまり、トレーニングには意味がないと解釈するか、小さいが効果があると“解釈”するかは分かれるところになる、というのが現状かもしれません。
また、健常群とADHDなどの臨床群で比較した場合でも、健常群でも、ADHD・読み障害・算数障害・学習障害などの臨床群でもトレーニング効果に差はなく、学習障害時でも、算数や言語・非言語能力への遠転移効果は認められていません。
最後に、また夢のないことを申し上げるようですが、近転移についても、トレーニング直後の効果は見られるものの、時間が経ってしまえば、その効果はほとんどなくなっていることが示されています。
それでも非認知能力には効果がある?!
最後に。
今回お示ししたように、「知能向上や将来の(成功に関わる)〇〇のために、××(ワーキングメモリトレーニングなど)をする」ということ自体が、目的とそれに向かった行動に実は関連がない、ということかもしれません。
ただし、物事に対して真摯に取り組みやり遂げる力など非認知能力の育成、という目的においては、内容を問わず、さまざまな長期的なトレーニングが、その効果をもたらすと考えられます。
目的と行動、それぞれの対応を見間違うと、無駄な努力に見えますが、柔軟な見方をすれば、全ての努力は身になっているのだ、と信じたいものです。
プロフィール
細田千尋
東北大学 加齢医学研究所 認知行動脳科学研究分野 准教授。
東北大学大学院情報科学研究科 准教授。
東京医科歯科大学博士課程修了。博士(医学)。内閣府主導ムーンショット型研究開発事業プロジェクトマネージャー、内閣府・文部科学省が決定した“破壊的イノベーション”創出につながる創発的研究支援研究代表者など複数の国家プロジェクトの研究代表を務める。International symposium Adolescent brain & mind and self regulation Young investigators Award June受賞、成茂神経科学賞受賞など受賞多数。仙台市学習意欲の科学的研究プロジェクト委員。PRESIDENT にコラム「脳科学で考える世の中のウソ・ホント」 を連載中。NHK 「思考ガチャ」、NHK Eテレ「バリューの真実」、日テレ「カズレーザーと学ぶ」などメディア出演多数。