第6回 子どものことで自分を責めてしまう時に
東京大学教授
精神科医師・医学博士
佐々木 司
前回、前々回と、子どもへの注意の仕方、反抗期と、親にとって上手くいかないことの多い問題を扱ってきました。原稿を書きながらずっと気になってきたのですが、もしかしたら、親としての自分に迷いが生じたり、中には自信を失いかけている方もおられるかも知れません。と言うのも私自身、この問題にはいろいろと迷ったり悩んだりすることが多かったからです。そこで今回は少し回り道をして、「親業」がいかに大変かを、自分の経験も踏まえてお話してみたいと思います。
なかなか上手には振舞えない
前回まで色々な「注意」を書いてきました。例えば、『第4回 思春期の親子関係-その2:子どもに注意する時の注意』では、「注意される身になって注意」しなさいとか、「「怒る」と「叱る」は違う」とか、注意や𠮟責の時は「ひと呼吸」おきなさい、等々です。
読み返してみると、確かにどれももっともな話なのですが、では書いた本人が実際にそのように出来ていたかと言うと、そうでもありません。むしろ書いたことと反対のことが多かったように思います。
ただ子どもに文句を言っているような時は夢中ですし、文句の言い方に問題があるとしても全く気付いていません。「まずかったかな?」と思うのは、あとで子どもの反応を見てからです。これまで色々立派なことを書いてきましたが、数々の失敗への反省を込めて書いた、というのが実情です。
嫌な記憶の方が残りやすい
勿論、自分のやってきたことが何もかも常に良くなかった訳ではないと思います。ただ上手く振舞えた場合には、その後「何事も特に起こらない」ので余り印象には残りません。「パパ、今の注意の仕方は良かったよ」などと子どもから「お褒め」の言葉やサインが出るはずも当然ながらありません。
一方、上手く振舞えなかった時には、子どもから文句が出たり、いろいろな「結果」も起こりやすいので、印象は強くなりがちです。また自分の心の中にも、イライラや落胆などネガティブな気持ちの起こることが多いので、より強い記憶として残りがちです(一般に、楽しいこと嬉しいことより、嫌な思い出の方が、頭の中をグルグルしやすいですよね)。
バイオリン事件
私にとって、数ある失敗の中で最も忘れられないのが、子どもがバイオリンをやめてしまったことです。
私の長男は、小学校に入った頃から近所の先生にバイオリンを習い始め、日曜日は私が練習を見ることにしていました(私もバイオリンの経験者なものですから)。はじめはただノンビリ見ていただけだったと思います。ただ、曲が中級レベルに進んでからはボーイングの基本的な粗(あら)が目につくようになり、弓の向きやら、右手の指の力のバランスなどを注意するようになりました。
もちろん注意したからといってすぐできる筈もありません。これは冷静に考えれば分かることですが、教えている時は夢中なのでなかなか気づけません。何度教えてもできないと、ますます熱がこもっていきます。次第に何度も何度も厳しく注意するようになって、子どもの方も相当嫌だったのでしょう。小学校高学年のある日、到頭けんかになってしまいました。その後は中学受験でレッスンを一時お休みし、中学入学後間もなく、完全にやめてしまいました。
子どものためと思っても
しつこく注意し続けたといっても、親の方には当然ながら悪意はありません。自分がバイオリンの上達にかなり苦労したので、少しでもコツを身につけさせたい、出来るだけスムーズに上達させたいという、子どものためを思っての気持ちだけです。
とは言え子どもの側からすれば、習い事のために親から何度も同じ文句を言われるのは、理不尽なことだったのでしょう。楽しく習っていたバイオリンも、どんどん嫌になっていったに違いありません。親が夢中になればなるほど子どもには負担となることの典型的な例だったと思います。親の善意、親の一生懸命が子どもにとって良い結果をもたらすとは限らないという訳です。
それと思春期に入る前と後では、子どもの気持ち、子どもの反応は違うという点を無視していたのもウカツでした。
あとから文句を言われても・・
大人になってから、子どもの頃の親の言動に文句を言われることもあります。思春期に入って親に批判的になっても、面と向かってはっきりとは文句を言わない場合もあります。親に対しては、言葉にして明言するのも嫌、といったところなのでしょう。ちらっと皮肉を言うくらいのことはあっても。
これが大人になって、親と対等の立場になると、子どもの頃に言われたあのことは怪しからん、などと理路整然と文句を言ってくる訳です。親としては「今さらそんなこと言われても困る」のですが、子どもにしてみれば、大人になって、ようやく昔のうっ憤を晴らせるようになった、ということなのかも知れません。
「今さら言われ」ないようにするにはどうしたら良いかですが、やはり思春期に入ってからも、親子で話せる時間と機会を保つことは大切だとつくづく思います。
ただ、子どもからのそういった文句や批判が完全に出ないようにするのは、おそらく不可能でしょう。親に対する何らかの批判や不満があって、その全ては言葉に尽くせないし、親にはなかなか話せない、それが思春期の特徴なのかと思います。
バイオリン事件、その後
残念ながら、子どもがバイオリンを手にすることは、その後全くありませんでした。
「その代わり」ではありませんが、今はその子の長男、つまり孫をバイオリンのレッスンに連れていくのが私の毎週の楽しみです。子どもは孫にバイオリンを習わせることに積極的ではありませんでしたが、露骨に反対はせず「本人がやりたいならやらせれば」というスタンスでした。
もちろん幼稚園児、特に男の子に「(バイオリンを)やりたい」と意志表示させることは難しく、実際にはレッスン後の食事・デザートを鼻先にぶら下げて通わせています。ただ、レッスンで先生と過ごす時間は楽しみになっているようで、それと月1回のグループレッスンや発表会で同じ年頃の友達に会えることも、とても嬉しいようです。
スズキ・メソード創始者の鈴木鎮一先生は、「できることで楽しみながら能力を作る、出来ることを喜びとする。子どもの心を見抜いて、丁寧に能力を育てていく。これが、教育する立場にある親と先生達の極意だと思います。」とその著書に書かれていますが、まさにその通りです。楽しみながら続けさせることが一番大切、と実感しています。
親心のその後
とは言え、孫がたどたどしく弾いているのを見ると、「(うまく弾けるよう)注意してあげたい」という親(ジジ)心がどうしても出てきてしまいます。「肘の位置をもう少し前に」とか、ちょっとした注意で音が違ってくることを知っているからです。
ただ子どもの時の二の舞も困りますので、今は、レッスンでの先生の教え方をできるだけ参考にするようにしています。例えば、クイズ形式で「どの弾き方が良いでしょうか」と考えさせるとかで、今のところ孫の興味のツボにはまっているようです。
もちろん年齢が上がってくれば、やり方も変えないといけません。思春期ともなればなおさらです。
我慢が肝心
孫には、思春期までに自主的に練習する習慣を身につけてくれればと願うのですが、必ずうまくいくとは限りません。
ちなみに私の小学校高学年から中学生頃はと言いますと、バイオリンケースを開けるのが週1回、レッスンの時だけ、という状態でした。当然ながら上達しません。
2年近く、Vivaldiのイ短調協奏曲第1楽章から先に一歩も進みませんでした。それで臆面もなく毎週レッスンに通い続けた自分もある意味、大したものだと思いますが、それ以上に、全く怒りもせず毎週接してくださったバイオリンの先生(大塚雪子先生、故人)の我慢に頭が下がります。それがなければ、大人になるまでバイオリンを続けることもなかったと思います。
そこまでサボっていた私も、中高生のオーケストラに参加するようになってからは自分で練習するようになりました。時期が来て機会があれば、人間変わるものだとつくづく思います。
完璧を求めない
これが子どもに接するうえでとても大切ということは、ここまでお読みいただいて納得頂けたと思いますが、自分の「親業」に対しても是非そうあってほしいと思います。
「親業」は難しく、時に失敗も避けられません。あまり自分に厳しいと、「親」としてふるまうことに耐えられなくなってしまいます。
親も人間ですから。
子どもには文句を言われるかもしれませんが、ここは何と言われても、子どもに対するのと同様、親としての自分にも「寛容」であってほしいと思います。
さて今回はこの辺で筆をおきます。次回は、思春期のメンタルの問題にまた話を戻したいと思います。
佐々木司
東京大学教授、精神科医師・医学博士。小学校入学後よりスズキ・メソードでヴァイオリンを習う。東京大学医学部医学科卒後、同附属病院精神科で研修。クラーク精神医学研究所(カナダ、トロント市)に留学。東京大学保健センター副センター長、同精神保健支援室長(教授)などを経て、現在、同教育学研究科健康教育学分野教授。思春期の精神保健、精神疾患の疫学研究、学校の精神保健リテラシー向上などに取り組んでいる。日本不安症学会理事長、日本学校保健学会常任理事、日本精神衛生会理事を兼務。
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