第17回「Panic disorder」
場所は神奈川県民ホール。
オペラ・ガラコンサートのゲネプロの最中、突如目眩に襲われ段々見える範囲が狭くなり薄暗い状況に。
さらには息をいくら吸っても吸った感じにならず、いわゆる過呼吸の状況に陥りました。
隣のチェロの同僚に
「ごめん、楽器を持ってもらっていい?」
と言って楽器を渡し床に倒れ込みました。
指揮者の現田茂夫さんは
「どうした?ひろやす大丈夫か?ピットから出れるか?救急車呼ぶか?」
と慌てた様子で僕に話しかけていましたが、彼も音楽を止めるわけにもいかず、指揮をしながらでした。
隣の同僚はチェロを2台持ったまま呆然として身動きも出来ず、僕は寝っ転がりながら「ごめんごめん」と何度か言いましたが伝わったかどうかわかりません。
指揮者の後ろの小さなボードを外せば客席の方に出られますが、ボードを外す力もありませんでした。
どうやってそれを乗り越えたのか全く覚えていませんが客席までなんとか辿り着き、そのまま倒れ込んでホールの中の医務室に運ばれました。
気を失ったのか寝ていたのか、どれぐらい時間が経過したのか覚えていませんが目が覚めた時は目眩も過呼吸もおさまっていました。
寝不足か?過労か?一過性のものと勝手に判断し医務室を出てその日の本番はなんとか弾き終える事が出来ました。
それからは特にそんな酷い目眩や過呼吸もなく過ごし、倒れてから1週間ほど後にピアノの岩崎淑先生との8ヵ所での室内楽のツアーがありました。
そのツアーの始めの山形や富山では普段と変わらず何も問題なく弾いていたのですが、倉敷の演奏会後に共演者全員で食事をしている時に目眩と過呼吸が再び。ひと足先にホテルに戻り横になっていましたがどんどん悪化。ホテルのフロントまで行き
「すみません救急車を呼んで頂けますか」
とお願いしました。
ホテルの方が
「タクシーじゃなく救急車でよろしいですか?救急車って、あの救急車ですよね?」
とおっしゃった時は息苦しさの中でも苦笑しました。
「はい、あの救急車をお願いします」というのも厳しかったのを覚えてます。
初めて救急車に乗りましたが、何しろ意識ははっきりしている事もあり救急隊員の方も割とのんびりしていて
「なるほどぉ、今日は受け入れは難しいですかぁ、はい、わかりました。どーもどーも、またよろしくお願いしまーす」
という口調で何件か病院に電話をし、受け入れ可能かどうかを探っていました。
むしろその救急隊員の緊急性のなさは少し僕を安心させました。
救急隊員が焦って深刻な様子だったら僕も心配になり追い込まれていたかもしれません。
病院に着き2時間ほど点滴をして体調も落ち着いたのでタクシーでホテルに帰りました。
あれだけ死ぬんじゃないかと思うぐらい苦しい状態が数時間経つと普通に戻るという事が不思議でした。
広島では朝から調子が悪く、近くのクリニックで点滴をしてからホールに向かって演奏しました。
そしてツアー最後の地は沖縄。
最後の曲だったボッケリーニのピアノクインテットの最終楽章を演奏してる最中に息ができなくなり、しかも段々と視野狭窄になり楽譜が見えなくなってきました。
楽器を弾く事よりも最後までとにかく倒れちゃいけない、という一心でした。
ギリギリ最後まで辿り着き、舞台裏までふらふらと戻った直後、バックステージに置いてあったソファーに倒れ込み意識を失いました。
アンコールはチェロなしでやったと後で聞きましたが、それがどうだったのか聞く勇気はありませんでした。
このツアーの共演者の皆さんはもちろん、お客様にも大変ご迷惑をおかけしました。
この場をお借りして謝罪します。
という訳で東京に戻ってから流石に病院に検査に行きました。
脳波、MRI、MRA、CT、ホルター心電図、血液検査と全ての検査結果はどれも問題なく、医師からは病名はパニック障害でしょうねと言われました。
初めて聞く病名でしたが確かに発作が起きた時はパニックになってましたからネーミングとしてはそこそこ良い線いってるなと思った記憶があります。
ホルター心電図というのは24時間小さな機械を身体につけて1日の心電図を記録していくものですが、それを装着した日は「第九」のリハーサルでした。「何時に食事をとった」「何時からリハーサルが始まった」「何時に車の運転をした」「何時にトイレに行った」等々は僕が全て記録しなくてはいけないのですが、その心電図のグラフを医師がチェックしてる時に「18時から急に心拍数がかなり上昇しているけど、この時は何をしてたの?」と聞かれました。
僕の記録を見ると「第九」の4楽章のリハーサルが18時からで、チェロとコントラバスのレスタティーボを何回も弾かされていた時間でした。
こんな弾き慣れた箇所でも自分自身全く自覚がない中、緊張して相当心拍数が上がるんだと驚きましたし、新たな発見でした。なにせグラフ上では通常75から80を少し超えるぐらいの心拍数が「第九」のレスタティーボでいきなり130まで突然上がっているわけですから。
ただパニック障害というのは、普段は全くの健康体なのにそのパニック発作が起きるとどうしようもなくなるというもので、人に説明するのが難しい病気でした。
医師は
「とにかくゴルフが趣味ならずっとゴルフでもして暮らしてくださいよ。診断書にもゴルフするから休ませてくださいと書くから」
と本気とも冗談とも取れるようなことを言っていました。
それをオーケストラの事務局長に伝えると
「意外に良い病気になったね。その診断書を早く見たいよ」
と笑っていました。
その後このパニック障害とは長い付き合いになりました。
当時1番酷い時は全く電車にも乗れなかったですし、車を運転していてもトンネルに入ったり、レインボーブリッジに差し掛かると必ず目眩がしたり息ができなくなったりしてました。
人間の身体は本当に不思議です。
そんな事で調子を崩すのに、もっと孤独で恐ろしいチェロの本番ではその後は一度も発作は起きてないのですから。
今現在でもごくたまにダメな日は来ますが、もはや付き合いの長い盟友という感じになりました。
新幹線で名古屋止まりの最終に乗った時も意識を失い、車掌さんから「起きましょうか、相当飲まれましたね、名古屋ですよ、歩けますか?」と言われた事も含めて今では良い思い出ですが。
(次回に続く)
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愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、イタリア・キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退団後広島交響楽団客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を、同時に2011年より2026年3月まで京都市交響楽団特別首席奏者を務める。神奈川フィルハーモニー管弦楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルトなど多数の協奏曲をソリストとして共演しいずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」や「チェンバーソロイツ佐世保」のメンバーでもある。
これまでにバッハの無伴奏チェロ組曲全曲、アルバム『情景』、石田泰尚氏とのDVD「DUO」を発表している。
宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」や自身の生徒達の為のコンサート「Celloyasu Kids Fes」を主催、さらには東京代官山でのアートと音楽のフェスティバルの立ち上げやボランティア活動の基盤作りの為に一般社団法人「ArDe」の設立に携わる。
現在、東京音楽大学教授、スズキ・メソード特別講師、日本チェロ協会理事、一般社団法人ArDe理事。
みやざきチェロ協会および信州チェロ協会名誉会員。







