
連載第11回 「脳にある言葉とは」
東京大学教授(言語脳科学者)
酒井 邦嘉
この連載では、年齢とともに脳やその能力がどのように発達していくのか、脳のそれぞれの部位がどんな働きをするのか、その仕組みなどを初歩から解説しています。今回も寄せられた中から関連したものを選んで、それに答える形で進めていきたいと思います。人間の脳をめぐる疑問には、私の近著である『人間とは何だろうか』(河出新書、2025年)の中に答えやヒントが見つかると思いますので、あわせてお読みください。

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Q1:
先生のご著書の中に、脳の地図に言葉の「文法」などを、それを司る場所に記入したものがあったように思います。それと一緒に、「聴覚野」などの言葉や、音楽の「ピッチ」などの場所を書き込んだものを見てみたいです。
A:
その地図のことを、私は「脳の言語地図」と呼んでいます(次図)。

この図の左が頭の前側で、前頭葉(ぜんとうよう)と呼ばれる部分の一部に、文や音楽などの構造を司る「文法中枢(ぶんぽうちゅうすう)」があります。
一方、図の真ん中で頭の側面(耳の奥)に当たる部分が側頭葉(そくとうよう)と呼ばれ、その一部に「音韻(おんいん)中枢」があります。この場所には、言葉の音素やピッチ、アクセントなどを把握する働きがあります。
この音韻中枢は音自体を聞き分ける「聴覚野(ちょうかくや)」と、さらにその音が何の音であるか(たとえば人の声か、楽器の音か)を認識する「聴覚連合野(れんごうや)」を含んでいます。
スズキとの共同研究の第一弾では、この場所が楽器習得の経験によらずに音楽の「ピッチ」の違いを聞き分ける時に働くことが明らかになりました。つまり、聴覚やピッチの把握は、「音韻中枢」の働きの一部だと考えてよいのです。
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Q2:
生まれてから3年ほどで「母語」が自由に話せるようになるのは本当に不思議ですね。この頃に歌をたくさん歌うと歌もある程度自由に歌えるようになるのでしょうか(声帯の限界はあるでしょうが)。
A:
母語の獲得をしている段階の子どもは、言語と歌を区別することなく覚えていきます。実際、母親が乳幼児に語りかける言葉は、母音を長く伸ばしたり、抑揚の変化を大きくしたりする傾向があり、歌とよく似ているのです。
この話し方は、「マザリーズ」(motherese)や「母親言葉」と呼ばれており、英語ではnursery talk/language, baby talk, infant-directed speech (IDS), child-directed speech (CDS)といった用語で表されています。
ですから、子どもにとっては言語と歌を無理に区別することなく、言葉を話すのと同じくらい、自然と歌を歌うことが大切だと言えます。もちろん、歌をたくさん歌えば歌うほど、歌も自由に歌えるようになっていきます。
バイリンガルの家庭でも、子どもの目線で考えれば「日本語」と「英語」の区別など最初からなく、お母さんの話す言葉とお父さんの話す言葉の「延長」くらいの意識しかありません。つまり、「日本語」と「日本語の歌」の違いはごくわずかなものなのです。大人の常識をいったん捨てて、子どもが世界にあふれる「音」をどのように把握しようとしているのかを、お子さんと一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。
スズキとの共同研究の第三弾では、「歌」を取り上げて脳の反応を分析しているところです。結果の取りまとめと論文化までを楽しみに、しばらくお待ちください。
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Q3:
先生の多岐に渡るお話をまとめていただいた編集部に感謝でいっぱいです。先生ご自身の歴史と研究、音楽に対する視点を全て並べた中で、自分の中にも開くものがありました。子どもがいろいろつかみ取って獲得するために生来持っている能力は興味深いです。つかみ取る過程でいつ何を捨てていくのか(すでに出会ったものをカテゴライズし、気にしなくていい違いを無視したり、出会っていない音への感覚を閉じたり?)についても色々と研究が存在するのでしょうか?
A:
本連載をご愛読いただいて、とても嬉しく思います。ご指摘の「つかみ取る」ことと、「捨てていく」ことは、どちらも脳の大切な能力です。これは、記憶と忘却の対比というより、成長の過程で脳という「電気回路」を形作っていく時のお話です。
実際、「つかみ取る」ほうは大脳(だいのう)、「捨てていく」ほうは小脳(しょうのう)が主に担っていると考えられています(次図)。なぜなら、大脳の主な出力が次の神経細胞の活動を強める興奮性(こうふんせい)(電気的にプラスの作用があること)なのに対して、小脳の主な出力は次の神経細胞の活動を弱める抑制性(よくせいせい)(電気的にマイナスの作用があること)だからです。

私の先生の先生にあたる伊藤正男先生は、東京大学医学部の最終講義(『小脳と大脳』 平成元年3月7日)で次のように述べていらっしゃいました(講義録からの引用です)。
大脳と小脳において、大脳が興奮性なのに対してして小脳は抑制性と、外に出てくる信号の性質がまったく逆である。その意味するところはどういうことだろうか?〔中略〕 興奮と抑制ということで、大脳と小脳とはどのような違いがあるのだろう、何とか、格好のよい説明がつけられないか、当時はずいぶん悩んだものです。〔中略〕 オックスフォード大学のシェリントン教授は次のように述べています。昔の生理学は何でも「抑制と興奮」という二大原理で説明していました。シェリントン時代も抑制と興奮の拮抗作用としてあらゆることを説明していたのでそういうことは深く考えていたわけです。そして、シェリントンは「興奮をモウルデング〔moulding〕であるのに対して、抑制はスカルプチャリング〔sculpturing〕であると述べています。つまり、興奮は塑造とか造形、石膏細工や粘土細工といったものであるのに対して、抑制は彫刻であると(次図)。粘土のどてっとした何も形のないものから練り上げ作り上げていくのが興奮であり、あらかじめ形のあるものを削って、さらに微細な形を作るのが抑制である、ということです。

この考え方を音楽に応用しますと、ピッチ(音程)やテンポ(リズム)、強弱(ストレス、ダイナミクス)などの変化から楽曲のまとまりを作り上げ、曲の構成や構造を把握していく過程は、何も形のないものから練り上げ作り上げていく「塑造」のように捉えることができます。
一方、オクターブの違いや、楽器ごとの音質の違いなどをあえて捨てて、全体としての流れやハーモニーを把握していく過程は、あらかじめ形のあるものを削りながら微細な形を作る「彫刻」のように見なすことができるでしょう。
ちなみに、シェリントン教授は伊藤正男先生の先生の先生にあたり、神経細胞どうしの接点を「シナプス(synapse)」と命名したことでも知られます。
「子どもがいろいろつかみ取って獲得するために生来持っている能力」とは、こうした素晴らしい脳の能力に支えられているのです。
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編集部より
今回も酒井先生のお考えに即し、印刷用PDFを作成しました。是非お教室やご家族でご活用ください。
酒井先生に脳に関する質問をしよう!
この記事は皆様からの質問で成り立っています。たくさんの質問をお待ちいたしております!
プロフィール
酒井邦嘉(さかい くによし)
専門は言語脳科学で、人間に固有の脳機能をイメージング法などで研究している。1964年、東京都生まれ。1992年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士。1992年東京大学医学部 助手、1995年ハーバード大学 リサーチフェロー、1996年マサチューセッツ工科大学 客員研究員、1997年東京大学大学院総合文化研究科 助教授・准教授を経て、2012年より現職。同理学系研究科物理学専攻 教授を兼任。2002年第56回毎日出版文化賞、2005年第19回塚原仲晃記念賞など受賞。著書に『言語の脳科学』(中公新書)、『脳を創る読書』(実業之日本社)、『芸術を創る脳』(東京大学出版会)、『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書)、『脳とAI』(中公選書)、『科学と芸術』(中央公論新社)、『勉強しないで身につく英語』(PHP研究所)、『デジタル脳クライシス』(朝日新書)『人間とは何だろうか』(河出新書)『AI脳クライシス』(集英社)など。


スズキ・メソードで育つと、脳の能力はどう向上するの? 今回は、「スズキで小さい頃から育つ場合とそうでない場合とで、脳の使い方はどう変わるのでしょうか?」という疑問にお答えくださいました!

インタビュー後半は、先生の音楽への深い造詣が伺える、非常に興味深いお話しとなりました。また、現在の教育の在り方への提言も必読です。

スズキ・メソードを脳科学の視点から検証し世界に論文を発表してくださっている酒井先生に、研究に至る経緯や、先生の幼少期の素顔、研究者に至るまでの歴史を語っていただきました。やっぱり、驚きました!

今回も個性的な質問揃いです!『脳にはさわられた感覚がありますか?』『楽器での記憶定着のコツは?』『ニューロンの出した信号が、どのようにして音楽表現につながっていくの?』『コンサートで緊張しなくなる方法は?』の4本です!

今回は「アナログvsデジタルをテーマに、どちらが人間の能力をより引き出し高めてくれるか」「睡眠は学習にどう影響するか」など4つの質問にご回答くださっています。

今回の質問は『興味のない事はどうするとすぐに覚えられますか?』と『ぼんやりと特に何もしていないときの脳活動、デフォルトモード・ネットワークの子どもの脳への影響について教えてください』です!

今回の質問は『年齢が増えるとニューロンも増えるのでしょうか?』『ニューロンの数は決まっているのですか?それとも人によって違うのですか?』『ニューロンを増やすのに有効なことはありますか?また、ニューロンの働きに悪い影響を及ぼすものはありますか?』です。興味深い質問ばかりです!

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脳が持つ最大の特徴、それは使い方、育て方によって機能がカスタマイズされ続けること!この驚くべき能力「可塑性」について、スズキ・メソードと共同研究をしている脳科学者、酒井邦嘉先生が解説してくださいます。

