第12回「audition」
スタジオのレコーディングの仕事をしたり、オーケストラのエキストラの仕事をしながら生活をしていたある日、東京都交響楽団の首席チェロのオーディションを受けてみないかというお誘いを受けました。
前年にフィンランドのサボンリンナ・オペラ・フェスティバルに東京都交響楽団が招かれた時にエキストラとして参加させてもらい、その旅で団員の皆さんにとても親切にして頂いたこともありその誘いは嬉しかったですし、こんなオーケストラに入団できたら良いだろうなと思った記憶があります。
とはいえオーディションというものはこれまで幾度も苦渋を舐めてきましたし、オーケストラのオーディションは本当にシビアだと聞いていましたから、その日から緊張した日々が始まりました。
オーケストラのオーディションはオーケストラごとに方法も課題も違いますが、僕が受けた当時の東京都交響楽団は全楽員の3分の2の合格票が必要で課題曲は協奏曲1曲とソナタ1曲、そしてオーケストラスタディでした。
オーケストラスタディというのはオーケストラの曲のチェロパートで特に弾きにくい部分、チェロの目立つ有名な部分、簡単ではあるけれどその奏者の知性が問われバレる部分をそのオーケストラが選んで課題としたものです。
僕がその時弾いた曲はショスタコーヴィチの協奏曲第1番、チェロソナタはベートーヴェンのチェロソナタ第3番。
オーケストラの曲はブラームスのピアノ協奏曲第2番の第3楽章、スッぺの「詩人と農夫」序曲、ロッシーニの「ウィリアムテル」序曲等々でした。
チェロのソロの曲はまだしも、オーケストラスタディは実際1曲も弾いたこともなく音源こそ聴いてはいましたが、やはりどこか想像上の曲でありどうやって弾くのが正解なのかもわからず手探りの毎日でした。
一度も経験したことのない曲を、何度も何度も弾いてきた百戦錬磨のオーケストラプレイヤー80人の前で弾く心境たるや、想像してみてください。

どんなにもがいてもそのオーディションの日はやってきます。
その日は当然やってきました。
その日は朝から緊張でお腹は痛いし吐きそうだし、鬱々として会場に向かいました。
どんな演奏をしたのか覚えているわけもありませんが、終了後親友のヴァイオリンの矢部達哉さんが「ベートーヴェンの2個目のミの音程が低すぎた。なんで冒頭のテーマで音程を外すんだよ?毎日音階練習したの?」と妙に怒っていたのが印象的でした。彼なりに応援してくれていたが故の怒りだったと思いますが。
でも後々チェロの団員の方々にも同じことを言われましたから余程ミの音程が低かったんでしょう。それからベートーヴェンの3番を弾く時はそれがトラウマになったことは言うまでもありません。
結果としてそんなあまり良くない演奏をした僕を東京都交響楽団は入団させてくれたわけですが、オーケストラの曲の経験もほとんどない人間を良くぞ入れてくれたものだと思いましたし、その皆さんの勇気に感謝しました。
冷静に考えればオーケストラのオーディションを受ける人は100%オーケストラで働いたことのない人なんですよね。
誰でも初めての日がある。
若い奏者が入団する時はいつもそれを思います。
温かく見守りたいものです。
そんな懐の深い人間であるようなことを言いながら、自分の生徒さんがオーケストラのオーディションを受ける前は「オーケストラを舐めちゃいかん」
「オーケストラスタディはオーケストラの人たちはこうやって聴いているんだ」
と普段のソロの曲のレッスンの時よりパワハラ、アカハラの基準が極端に下がり、僕は何倍も厳しくなっている事は自覚しています。
でもここ数年で自分の生徒さんが4人オーケストラに入団しましたが、自分のことの様に喜びました。
今働いている京都市交響楽団で2年ほど前にチェロのオーディションがありました。
僕は契約奏者で正式な団員ではありませんから投票権もありませんしオーディションには基本的にノータッチです。
チェロの同僚から「せっかくだからオーケストラスタディに何か1曲出してよ」と言われたので究極の1曲を出させて頂きました。
これさえ聴けばチェロ弾きとして、低音楽器を担う奏者としてどんなチェリストか一発で全てがわかる曲。
それは
J.S.Bach 管弦楽組曲第3番 BWV1068 より「アリア」
です。
つまり俗にいう「G線上のアリア」のチェロパートです。
誰がこの曲を選曲したか知らないこのオーディションを受けた何人ものチェリストから
「あのバッハを課題曲として出すって頭おかしくないですか?」
と言われましたが、そう思っているうちはまだまだです。精進してください。
(次回に続く)
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愛知県出身。スズキ・メソードでチェロを始め、中島顕氏に師事。
桐朋学園大学で井上頼豊、秋津智承、山崎伸子の各氏に師事。在学中1987年第56回日本音楽コンクール第1位、第1回淡路島国際室内楽コンクール第2位入賞、第1回日本室内楽コンクール第1位など数々の受賞歴を持つ。同大学を首席で卒業後、桐朋学園研究科ではピュイグ・ロジェ、キジアーナ音楽院でリッカルド・ブレンゴラーの下で室内楽の研鑽を積む。1990年東京都交響楽団首席奏者に就任。1994年退職後広島交響楽団の客演ソロ・チェロ奏者を経て1997年より2019年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席奏者を勤める。同楽団とはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、グルダ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテなど多数の協奏曲をソリストとして共演し、いずれも好評を博した。
サイトウ・キネン・オーケストラ、宮崎国際音楽祭に三島せせらぎ音楽祭に毎年参加。
トリトン第一生命ホールの「晴れた海のオーケストラ」やチェンバーソロイツ佐世保のメンバーでもある。また室内楽の分野でも欠く事の出来ないチェリストとして著名な演奏家との共演も多い。
チェロカルテットCello Repubblicaの主宰や宮川彬良氏と教育プログラムの2人のユニット「音楽部楽譜係」、生まれ故郷である名古屋で「大人の室内楽研究所」を立ち上げ、地域の文化向上をライフワークとするなど、活動は多岐に渡る。2008年のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲に続き、2012年に発表したアルバム『情景』はレコード芸術誌上で準推薦盤の評価を得た。
現在、東京音楽大学教授、京都市交響楽団特別首席奏者、スズキ・メソード特別講師、東京藝術大学非常勤講師。日本チェロ協会理事、みやざきチェロ協会名誉会員。

編集部より
2025年4月6日(日)に開催される「チェロ科創設70周年記念 第26回スズキ・メソードチェロ全国大会」は
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