
第13回 楽器の演奏・練習と心の健康:(2)伸び伸び楽しむ
東京大学名誉教授
精神科医師・医学博士
佐々木 司
今回も前回同様、楽器の演奏が心とその安定に与える影響について、私自身の経験からお話ししたいと思います。前回は、練習をサボりっぱなしだった私でも楽器を続けることができた3つの理由、「仲間ができて、心地よい居場所ができて、練習と合奏を楽しめて」についてお話しましたが、今回は受験勉強に疲れた時、その後大人になってから、楽器の演奏と練習がどう助けてくれたか、お話したいと思います。まずは受験勉強のお話からです。
受験勉強スタート
私が大学受験の勉強を本格的に始めたのは、入試の9カ月前、高3の5月末でした。
それまでは5月の文化祭準備に夢中で、そのあとオーケストラの演奏会もあったからです。ちなみに当時私の学校では、高3は軽食・喫茶の店を図書室で開くのが恒例で、私は食品・飲料の仕入れ担当でした。仕入先との交渉や入荷した品の確認、前売り券の販売が主な仕事で、文化祭前日に仕入れたケーキにカビを見つけ急ぎ取りかえさせたり、結構大変でした。
これらが終わり、いよいよ受験勉強に専念し始めたのが5月末、という訳です。
さらばバイオリン!
同時にバイオリンのレッスン通いも終わりとし、自宅でも弾かないことにしました。時間の余裕が無かったからです。
予備校の模擬試験など受けてみると、問題が全く解けず大弱りで、特に大変だったのが数学と英語です。数学は解答の糸口が全くつかめず、英語は単語・熟語を知らなくて何の話か見当もつきません。バイオリンどころではない状況でした。
焦りの秋を迎えて
そんな状態で夏休みが過ぎ、秋真っ只中となりました。易しい問題は何とかなり始めましたが、本格的な問題は1問解くのに1時間もかかります。受験本番が段々近づき、気持ちは焦り、勉強の効率は上がりません。そうなると勉強も嫌になってきます。

バイオリン復活
そんなある晩、ふと弾いてみたのです。封印していたバイオリンを。
手始めに弾いたのが4巻、ザイツの協奏曲でした。ドー、ソー、ミーレド、ソ、ドレミーソファミーレーって曲です。ゆったりとした綺麗なメロディーを、暗譜で弾ける曲でした。
久々のバイオリンはとても気持ち良く、心地の良いまま1時間以上弾きました。それまで10年間習っていて、あれほど気持ち良くバイオリンを弾いたことはなかったと思います。
楽器を弾くって気持ちいい
何でそんなに心地良く弾けたんでしょう? 久々に弾いて嬉しかった、というのはあったかも知れません。ただそれより、自分のバイオリンの音を聴いて心から楽しむ、という気持ちの余裕があったように思います。
受験勉強で焦っているのに「気持ちの余裕」とは不思議に思われるかもしれませんが、次のようなことです。
中学高校とレッスンに通っていた間、私の頭を占めていたのは、今の曲を終えて少しでも早く次の曲に進みたいという気持ちでした。ですから練習する時も、難しいパッセージを一通り弾けるようになることばかりに気が向いて、曲を堪能しようという余裕は足りなかったように思います。同じことですが、より難しい曲を弾くことばかりが目標になって、昔習った曲を楽しんでみよう、という気持ちの余裕も乏しかったと思います。
でも本当は、以前に習った曲、譜面上は易しい曲にも素晴らしい曲が沢山あります。ゆったりした気持ちでそれらを弾き直した時の方が、楽器の音色を堪能できますし、曲を楽しむこともできたのだと思います(恐らく)。
これは上達のコツにもつながる気がするのですが、本当にそうかどうかは皆さん、ご自分の先生に尋ねてみて下さい。
最高の気分転換
この晩以来、受験期間も時々バイオリンを弾くようになりました。弾きだすと1時間は弾いてしまいますので、さすがに毎日は弾きませんでしたが、毎回とても良い気分転換になりました。これで試験問題が解けるようになったかは不明ですが、少なくとも時間の使い方としては、机にかじりついてばかりより、ずっと効率的だったと思います。
大学生・社会人となってから
バイオリンを弾くことが最高の気分転換であることは、受験勉強が終わり、大学生・社会人となってからも続いています。同時に楽器演奏は、オーケストラや室内楽を通じて仲間を得る機会としても大きく役立ってきました。
中学高校までと違って大学生になると、学校のクラスのつながりというのは希薄になりますので、学業以外での楽しみを共有できることは、人との関係を育み保つ上で一層貴重になります。
これは社会人になっても同様です。同じ職場の仲間といっても、学生時代までのように遠慮の要らない関係は稀ですし、時に利害が対立することもあります。また、仕事は常に上手くいくとは限りません。寝ても覚めても仕事のことばかり考えていては、気が滅入ります。
そんな時、楽器を演奏する楽しみがあること、一緒に演奏して楽しみを共有できる機会や仲間があることは、毎日を楽しく過ごす上で、また心の健康を保つ上でも大変役立ちます。
自分に合ったところで
誰かと一緒に音楽を楽しむといっても、それぞれのメンバーや団体ごとに、求める曲の完成度や選ぶ曲の傾向は随分違います。要求レベルが余りに高くて、しんどくなる場合もあります。
自分にあったところを探し、気の合ったメンバーと楽しんでいければ良いと思います。
孫のレッスンで思うこと
私の場合、中学で合奏の楽しさ、大学受験勉強中に楽器演奏の心地よさにようやく気付いた次第ですが、この数年、孫がレッスンでお世話になっている様子を見ていますと、今のスズキ・メソードはもっと進んでいるのかも知れません。
グループレッスンの楽しみ
孫は普段のレッスンもさることながら、グループレッスンをとても楽しみにしています。一番の楽しみは友達と会ってお喋りできることみたいですが、グループレッスンのプログラムが良く練られていて、レッスン自体も楽しめているようです。
孫の先生のグループレッスンは毎月1回日曜の9時から始まります。最初1時間ほどは小学生と保育園・幼稚園児だけのレッスンで、キラキラ星体操、隣のお子さんと指の輪っかで引っ張りっこ、お猿の木登り、弓振り、パンダ検査と続きます。
次いで、キラキラ星の基本リズムを開放弦で弾く練習に移ります。その間に姿勢など、一番基本的なところを指導していただけます。1人あるいは2-3人で弾く時間もあって、上手なお子さんが弾くのをみたり、弾き方の基本を先生に直して頂けます。この時、先生はいつも褒めて下さいますので、孫はその気になって喜んでいる、という訳です。
ランダムに合奏、時々独奏
このあとは1巻の曲から何曲か合奏、時々部分部分1人で弾きます。ここで良いのは、弾く順が教則本順ではなくランダムで最後はキラキラ星に戻ることで、まだ弾けない曲の時は上級のお子さんの弾く様子を見て(うちの孫の場合は隣のお子さんとベチャベチャ喋ってますが)、でも自分も一緒に弾く時間が必ずまたやってきて、最後も一緒に弾いて終われます。そのあとはお菓子が頂けます。「今日は一人何個」「和菓子が好き」とか言い合いながら、籠に入ったお菓子を選ぶのが楽しみのハイライトのようです。

室内楽の初歩も体験
発表会が近づきますと、パート別に分かれた合奏の練習も加わります。これも小学生までの合奏と、上級生の合奏の両方を用意してくださってます。小学生までの合奏でもほかの人の音を聞きながら弾くという貴重な体験が、お子さんによっては「和音を作る」という難しい体験もできているのかも知れません。室内楽やオーケストラの練習の初歩ですね。
学びと楽しさが一体となった時間
このように孫がお世話になっている教室のグループレッスンは、学びと楽しさとが混然一体となっていて、うちの孫の場合、普段の練習以上にグループレッスンを楽しみにしています。それと最近は、普段の練習(自宅での練習を含めて)ではおふざけが過ぎて手を焼いているのが、グループレッスンでは他人の目を一応気にしているのか、真面目に弾きますので、大変助かります。
ちなみに私が習っていた頃(半世紀前)もグループレッスンはありましたが、初歩の曲から段々と上級の曲まで全員で弾き、自分がまだ習っていない曲になったら、何か一曲独奏しておしまい、という形式でした(レッスンの名前も「グループレッスン」ではなく「合奏」でした)。今のグループレッスンは本当に良く工夫されていると思います。
終わりに
今回は私の受験勉強の頃の経験から、楽器の練習と演奏を続けること、自分の音を楽しむことの大切さをお話しました。また、孫がお世話になっている教室のグループレッスンの様子から、楽しさと学びが一体となった練習の素晴らしさについてもお話しました。
楽しく学ぶことの大切さは、鈴木鎮一先生もご著書でよく書かれています。ただ実際、自分の子どもに練習させる時は、そう簡単にいきません。特に子どもが成長し生意気になってくると(生意気は成長の証しでもあるのでしょうが)本当に難しいものです。次回はこのことについて少し考えてみたいと思います。
佐々木司(ささき つかさ)
東京大学名誉教授、公立学校共済組合関東中央病院メンタルヘルスセンター長、精神科医師・医学博士。小学校入学後よりスズキ・メソードでヴァイオリンを習う。東京大学医学部医学科卒後、同附属病院精神科で研修。クラーク精神医学研究所(カナダ、トロント市)に留学。東京大学保健センター副センター長、同精神保健支援室長(教授)、同教育学研究科健康教育学分野教授などを歴任。思春期の精神保健、精神疾患の疫学研究、学校の精神保健リテラシー向上などに取り組んでいる。日本不安症学会副理事長、日本学校保健学会常任理事、日本精神衛生会理事を兼務。


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